セルパブ小説を読んでみよう 39 朱鴉宮更紗『お伽亭ななはと禁じられた噺』

気弱で常識人の少年が一人称で語るというのはラノベのひとつの定型でしょうか。そして、この少年に異能力者の美少女が絡む。大抵の場合、美少女は上から目線で少年を小馬鹿にした態度をとっていて実際は……まあ、ツンデレってやつですか(こういう何かまとめてしまう言葉にはちょっと抵抗を感じているんですけど、これはこちらの勝手な感覚の話ですからね)。

この物語の美少女は十五人抜きで真打になった天才落語家女子高生です。

曽呂利新左衛門を先祖に持つという、伝統ある噺家一家の後継者でして、思わず海○名さんちの息子さんたちを思い出して、いやー、そういうのっていろいろ言われて辛かろうなあと思った次第です。

主人公の周りにはこの美少女師匠以外にも民俗学を研究している変な姉や、何かイケナイ物をきめてる感じのノリの先生、委員長タイプの委員長といった女性がいます。ラノベがラノベたるべく、という感じです。

で、主人公は謎の展開で落語研究会に入ることになりますが、学校の外では連続撲殺魔なんてのが世間を騒がせているんですね。これがどうからんでくるのかなあ、なんてこっちが考えているうちに主人公の身近で不可解な死亡事件が起きます。

この辺りから話はオカルトっぽくなってきて、「語ると死んでしまう話」を巡る謎が展開します。「語ると死んでしまう話」、そして「聞くと死んでしまう話」まで出てきて話は、ドドーッ、と佳境に至ります。

怪談で語られる呪われた話は話の内容がどうかではなくてその存在そのものが呪われているわけですが、言葉で人を殺せるかというと、その力はあると言えるでしょう。

いやいや、言霊とかそういうことではなくてですね。

古くは紀元前7世紀、古代ギリシアの詩人アルキロコスは自分を捨てた女を罵倒する詩を書いて、その女と親を自死させたとそうです。また、自分を揶揄する彫刻を彫った彫刻家にも詩を送って自死させたと伝わっています。

最近は詩の替わりにSNSが人を殺しているようですが、本当のリテラシーというのは言葉の禍々しい力を知ることと、その呪縛から逃れる術を身につけることかもしれません。

小説書きというのも言葉の力を使う者のひとりですが、さすが「文學界」新人賞受賞者だけあって作者の能力は一級品です。

この本には他にも作品が収録されていて、個人的には『由比ヶ浜☆フェアドッグ』の方が好みでした。皆さんもぜひ読み比べてみてください。https://www.amazon.co.jp/B08W9FZQPG

以下は自作の宣伝ですが、生憎と噺家の出てくるものはございません。怪談も出てこないなあ。よろしければお読みください。すべて Kindle Unlimited でお読みになれます。

セルパブ小説を読んでみよう 38 浅倉喜織『双頭の夢魔』

セルパブ小説を読んでみよう 38 浅倉喜織『双頭の夢魔』

久しぶりのセルパブ小説です。この間何をしていたんだ、本を読んでいなかったのかと言われるとたしかに読んでおりませんでした。ゲームばかりしてました。反省です。

昔、まだファミコンの頃、当時付き合っていた女の子に「あなたはゲームするために生まれてきたんじゃないでしょ」と怒られたことがあります。その子がいまどこでどんなおばさんになっているかは知りませんが、ぼくはときどきゲームに耽る癖があって、それで読んだり書いたりが怠りがちになるわけですが、ふとした一瞬に彼女の声がよみがえって夢から覚めるわけです。

で、今回はヤーナムの獣狩りの悪夢から戻ってまいりました。ちょっと前に読んだ悪夢のお話が今回のネタです。浅倉喜織『双頭の夢魔』。

昭和二十二年、電電公社に勤務する元通信兵の私及川は、戦友の長谷部からの久しぶりの誘いにのって上野の闇市で酒を酌み交わします。長谷部は私と同じ通信兵でしたが復員後はカストリ雑誌の記者になっていました。

話があるとのことだったので私が問い質すと彼は太平洋戦争中に夭折した天才日本画家鷹山恵月の話を始めます。狂死する直前の画家はある夢に悩まされ、その夢を見るようになって以来、ただ一つの絵しか描かなくなっていました。

長谷部はその死の謎を追っていると語り、私に鷹山恵月が遺したスケッチブックを見せます。どのページにも腰が結合した美しい双生児の少年が体を絡め合う妖艶な姿が描かれていました。長谷部は自分に何かあったらと言い残して、画家が夢を見るきっかけとなった川越の旅館を訪ねていきます。

それからひと月ほどして私は長谷部の同僚佐原から彼が会社を休み音信不通になっていると聞かされるのです。私が長谷部の下北沢の自宅を訪ねていくと、廃人のようになって引きこもっている彼に迎えられます。

長谷部は私に、川越で絵の結合双生児を見たと告げ、双子との爛れた愛欲の夢を語るのでした。夢で双子と会うために睡眠薬の力まで借りている長谷部はやがて、酒と睡眠薬のせいで半ば自死のように死んでしまいます。

スケッチブックを遺された私は、画家と戦友を死なせた双子の秘密を明らかにしようと、自らも川越の旅館を訪ねていきます。そして、そこで私もまた美しい結合双生児に出逢い、双子との淫らな夢の虜となってしまうのです。はたして私はこの連鎖する呪いから逃れられるのでしょうか。

美しくも淫らで悲しい結合双生児の悪夢の物語。悪夢というのもね、覚めると決まっているなら良いものですよ。ほんとに覚めるのであればね。

というわけで自作の宣伝です。お姫様が悪夢を見ます。主人公も悪夢を見ます。全部 Kindle Unlimited で読めます。じつは新しい小説を書いています。梅雨前には出す予定です。ちょっと自分にプレッシャーかけないと……へへへ。

セルパブ小説を読んでみよう 37 北条風林『竜骨の系譜 信義と琴美』

セルパブ小説を読んでみよう 39 朱鴉宮更紗『お伽亭ななはと禁じられた噺』

セルパブ小説を読んでみよう 37 北条風林『竜骨の系譜 信義と琴美』


自分が少数者であるという意識は被害者意識へと変質しがちな一方でまた、根拠のない優越意識へ変わってもいきます。
これらの変化はひとりの人間に同時に起きることもあるので、往々にしてルサンチマンのように捉えられたりします。
どういうシンクロニシティか最近そういう本ばかり続けて読んでいます。今回の北条風林『竜骨の系譜 信義と琴美』もそのひとつに勘定していいかもしれません。
ただ、小説ですからそこに登場する少数者の優越性は曖昧な根拠によるものではありません。霊的であろうが物理的であろうが小説に書かれていることは物語の中では真実に他なりません。
むしろ荒唐無稽であればなおさら小説としての面白みが増すというものでしょう。

古より脈々と続く忍者の血統。しかも彼らは高次元の意志に従い日本を裏側から支配しています。主人公はその本家筋にあたる「裏の左」と呼ばれる家の長男で、タイトルにある信義です。
しかし、長男ではあるのですが、家を継ぐのは彼ではありません。代々一男一女をもうけ、娘のほうが霊的な力を受け継いでいく掟です。
継承者は外から夫を迎え、必ず最初に男子、次に女子の子を産まなければいけません。この家に生まれた男は忍者となって継承者である妹を助けるのが務めです。
ところが、彼の代で異変が起きます。
母親は彼のあとに二人の娘を産んでしまうのです。継承者になるのは末娘という決まりですが、娘を二人産むこと自体禁を犯していることになります。その結果なのか、継承者となるべき末娘は若くして死亡し、その後母も死んでしまいます。残された妹が琴美です。

さて、このような一族で「表」が何者かに殺害されるという事件が起きました。事件の解明に動き出した主人公は、やがて国家レベルにおよぶ陰謀と対峙せざるをえなくなります。

国家公務員採用I種合格者や自衛隊特殊作戦群隊員、反社会的勢力の構成員までまきこんだ一族の争いの決着は如何に? という小説です。

最近あまり見かけなくなったアクション伝奇小説というジャンルに入るでしょうか。
「忍者と妹」というタグを見つけたら食指が動くという人にはぜひ読んでもらいたい一作です。https://www.amazon.co.jp/dp/B08FT4473D

以下は自作の紹介です。「妹」は出てきますが、主人公のではありません。東方の暗殺者たる「シノビ」も出てきます。全部 Kindle Unlimited で読めます。

セルパブ小説を読んでみよう 36 権藤将輝『おばけのリベンジ』

セルパブ小説を読んでみよう 38 浅倉喜織『双頭の夢魔』

セルパブ小説を読んでみよう 36 権藤将輝『おばけのリベンジ』

逆から考えるっていうのは、よく発想法とかの話で紹介されている方法のひとつですが、生きるってことを考えるときに、死ぬってことの方から見てみるというのもよく見かけますよね。ただ、この場合、死ぬってどういうことなのかはっきりさせておかないと、生も死もどちらも訳がわからなくなってしまいます。

大体生きてる人は皆んな死んだことがないから、「生きる」よりも「死ぬ」の方が本来わかりにくいはずなんです。だから、僕らが考える「死ぬ」はあくまでも仮定の域を出ない。誰の言う「死ぬ」も本当かどうかはわからない。確かめたかったら、自分が死んでみるしかないわけです。言い換えれば、人の数だけ「死ぬ」があり、そのどれもが等しく「確からしい」んです。

このことを小説で見た場合、死をどうとらえるかは死後の世界の有り様として表現されます。死んだら無、何もない、というなら、死後の世界も存在しない。

死後の世界は生前の世界とはまるで別の世界(たとえば地獄だとか)だと考えるか、あるいは生前の世界に類似した場所だと考えるか。いずれにしても、そこは生前の延長として考えられています。生前の行いに懲罰みたいなものがあるにしてもないにしても、そこにいる死者は生前から連続した人格を持っているのが当たり前。

日本の小説では大抵、そこへ「生まれ変わり」という要素も入ってきます。死んだあと新しい生へ生まれ変わる。

でも、よく考えれば死者の世界にいる人は皆、過去に何度も生まれ変わっている人ですから、それぞれの生の記憶もあっていいはずだし、何百何千の人格が混然となっていてもおかしくないはずです。しかし、そんな統合人格みたいなのが集まった死後の世界は読んだことがありません。

死者が持っているのは死ぬ前の人格ひとつだけというのがほとんど。つまり、死後の世界は生前のエピローグ的な位置づけなんですね。もうお話は終わっているのです。終わった物語は変えられません。

死後の世界が出てくる小説は、ここからふたつに分けられるのではないかと思います。ひとつは変えられない物語を変える話、具体的には人生をどこかの時点からやり直す話ですね。

この場合、「生きるなんてどうやったって同じ」か「生のどの部分も大事だから一生懸命生きないとね」かが作者の結論となりがちです。

もうひとつは、死者が現実世界にコミットしようとする話、死んだ人間が恋人だとか家族のところへ行って何かしようとします。「報われなくても尽くすのが愛情だ」とか「苦しいことも辛いこともあるけど、生きていればこそ良いこともある」といった話に落ち着くことが多いのではないでしょうか。

さて、今回の権藤将輝「おばけのリベンジ」はこのふたつ目のパターン。あの世の人たちがこの世へ来て何かする方のお話。といっても、愛する人のところへ出かけていくのではなく、恨んで死んだ相手のところへ出て行きます。まあ、死者の在り方としてはこっちの方が正しいですよね。

で、この世に出てき何をするかというと、あまり凄いことはしない。祟り殺す、とかそんなことはしません。できないみたいだし。

恨みを遺して死んだ人は、幽霊になって相手をドッキリさせにきます。どうやって脅かすかは、ホラー映画を撮っているのと同じ。ワイヤーアクションとか人手が必要です。なかなか大変そうです。でも、映画ならびっくりするのは観客で、しかもびっくりしたくてお金払って見に行くわけです。おばけの場合、完全におばけ側の自己満足でしかない。この辺り、この小説のテーマにも絡んでくるところです。

もっとも、おばけに恨んでいる相手をびっくりさせなきゃいけない義務があるわけではありません。要はどっちでもてもいいんだけど、ドッキリさせたら溜飲が下がるかなって程度でおどしに行きます。

生まれ変わる前にスッキリしとくかー、ぐらいの感覚ですね。で、いつ生まれ変わるかも死んだ人自身の判断に任せられています。ですから、主人公のひとりオジサンはずっと生まれ変わらずに他人のドッキリの手伝いを続けています。

このオジサンと、すでに恨みを晴らしてスッキリしたオネエサンが、「男らしくない」がために死んでしまった少年をそそのかして、少年をいじめていた元クラスメートをおどかしに行くのが主たるお話です。

ドッキリぐらいで恨みは晴れるのか、そもそも恨みを晴らしてどうするんだといったことを読んでいるうちにあなたは考えることになるでしょう。

死後の世界もいろいろです。この小説では生前の世界と大差ありません。お金と家が存在しないくらいで、他のものは大抵あります。たとえば、主人公たちがいつもいるのは場末のスナックみたいなところです。

ずっと酔っぱらっていてもいいんでしょうが、それはそれであまり楽しくないという人もいるでしょう。過労死で亡くなった人が欲しいのはきっと酒や料理よりも柔らかい布団と静けさだろうな、と思いました。僕は全然忙しくないんですけどね。ぜひ御一読を。https://www.amazon.co.jp/dp/B08C2MHW8W

以下は自作の紹介です。死者はやってこないけど、傲慢だという設定の話です。全部 Kindle Unlimited で読めます。

セルパブ小説を読んでみよう 35 諫山菜穂子『アーサークロニクル 1 – 魔剣の覚醒』

セルパブ小説を読んでみよう 37 北条風林『竜骨の系譜 信義と琴美』

セルパブ小説を読んでみよう 35 諫山菜穂子『アーサークロニクル 1 – 魔剣の覚醒』

二〇二〇年の夏が終わろうとしています。新型コロナのせいでいずれ歴史研究の対象となるであろうこの年も三分の二が過ぎてしまいました。

二十年もすれば、今年を舞台にした「娯楽」小説なりマンガなりが書かれるかもしれません。当事者である僕らの右往左往ぶりも、未来から見れば滑稽なものと目に映るでしょう。歴史の限界というか当事者の限界ってもんがあるよな、と言い訳じみたことを誰か偉い人が後世に向けて予め言っているような気はしますが、どう書かれようと仕方がありません。人間には過去を解釈する自由があります。

で、諫山菜穂子『アーサークロニクル 1 – 魔剣の覚醒』です。アーサー王の伝説を下敷きとする物語です。

伝説ですから歴史とはちょっと違いますが、むしろ伝説だからこそ余計に解釈や脚色、書き換えが許されているとも言えます。現在なされる改変も、数百年という長い目で見ればその「伝説」の一部に組み込まれてしまうでしょう。

物語の初めの方で吟遊詩人に扮した魔術師マーリンによって、この話は僕らが知っている伝説とは異なり、アヴァロンから戻ってきてやり直したアーサー王の物語なのだと宣言されていますから、作者はこの小説をアーサー王伝説の異本・異伝のひとつとして構想していると言っても過言でないように思います。

とはいえ、一般にアーサー王伝説はよく知られているとは言い難いところがあります。たしかにアーサー王、魔術師マーリン、聖剣エクスカリバー、聖杯、円卓の騎士、騎士ランスロットといった単語には聞き覚えがあります。でも、物語自体はよく知らないよというのが日本人の大半ではないでしょうか。

ちくま文庫の『アーサー王の死』で勉強してから読むというのも一手だと思いますが、そういう予備知識なしに物語へ入って行く方が楽しめるかもしれません。ただ、これは一巻目なのでまだアーサーの物語というよりもその前の因縁話諸々という感じです。

また、これは作者の創作だと思いますが、エクスカリバーではない魔剣が登場してきます。この剣がもたらす力と災いによって登場人物たちは過酷な運命を生きていくことになります。

長大な作品になりそうですが、先が楽しみな物語です。https://www.amazon.co.jp/dp/B089W6KXKR

この下は自作の宣伝です。『竜禍』『背徳の島』にも、魔剣は出てまいります。魔剣好きなら是非御一読を。全部 Kindle Unlimited で読めます。

セルパブ小説を読んでみよう 34 藍田ウメル『Words・Ⅰ』

セルパブ小説を読んでみよう 36 権藤将輝『おばけのリベンジ』

映画『狂武蔵』

坂口拓主演の「狂武蔵」観てきました。

全編90分のうち77分をワンシーンワンカットの殺陣が占めるという常識外れの映画です。

こういう著しくバランスを欠いたものが実は好きだったりします。

「黒死館」とか「ドグラマグラ」とか好きなのも、ヘンリ・ミラーやセリーヌが好きなのも、エリック・ドルフィ、グレン・グールド、裸のラリーズにハマってたのも、何かが過剰なるがゆえあるいは欠落しているがゆえ。

何度か生まれ変わってきたうちのどこかで徒然草の日野資朝卿だったことがあるのかもしれません。

冗談はさておき。

この77分に及ぶ殺陣は初めから企画されていたものではありません。紆余曲折の結果として、そういう形で撮影されたものが残ったのです(詳しい経緯は坂口拓さんのYouTubeで見られます)。

そうならざるをえなかった、というのともちがいます。この世に存在しなかった可能性の方がむしろ高い。撮られたこと自体、奇跡とまで言わなくてもとんでもない偶然の賜物なのです。更には、その映像が10年近い年月を経て一本の映画に仕上げられ公開されたことに人の世の不思議を感じざるをえません。

とはいえ、観に行くにあたっては不安もありました。

この手の過剰さは大抵ひとの許容範囲を超え出ているものです。思い出されるのは「死霊の盆踊り」ですね。初夜の晩に殺された花嫁の霊だの、火炙りになったネイティブ・アメリカンの娘の霊だのの乳振りダンスを延々と観せられる苦痛。77分の殺陣シーンも同じようなものかもしれないと覚悟して映画館へ向かったのでしたが、それは杞憂でした。

77分を通して振られた殺陣があるわけではなく、大雑把な場所移動と、それぞれの場所で囲むのか、直線的に斬り抜けるのかという段取りの設定と、個々の斬られ役との間の型だけが決まっているようでした。

それぞれの場所において一連のシークェンスが繰り返されるのですが、シークェンスの中は、斬りかかる順序の違いであったり、奪った刀をどう使うかであったり、その時々に変化していきます。

ただ、このラヴェルの「ボレロ」のような反復において武蔵/坂口拓が疲労消耗していくのは演技ではない不可逆的な変化なのです。腕が上がらなくなり、足がもつれ、時折入る顔のアップには自分が何をしているのか困惑しているような表情さえ見えてきます。

気がつけば77分はあっという間でした。映画のラストは今現在の坂口拓の殺陣。カット割りもされてるし、速度、完成度においても完全な殺陣シーンです。しかし、このアクションシーンはかく作られるべきという映像と比べても、いろいろと不備な状況で撮らざるをえなかった77分は、決して見劣りするものでありません。おそらく人が意図してできない領域に入っているからでしょう。

近くに上映している映画館があるならぜひ観るべき一作。

セルパブ小説を読んでみよう 34 藍田ウメル『Words・Ⅰ』

拙作も載せていただいている『セルパブ夏の100冊2020』https://bccks.jp/bcck/164916/infoから1冊。藍田ウメル『Words・Ⅰ』です。

中学校三年生の主人公「僕」と、彼を取り巻く少女たちの物語。

主人公は幼い頃から母親の強い支配の下にあり、自身の希望はことごとく母親によって否定されて育ちます。母親は彼を自分の理想の型に嵌めようとしますが、じつのところその型自体が母親の場当たり的な思いつきによるものでしかありません。結局、母親の理想は常に世間の反映としてあり、母親自身が世間にどう見られたいかに由来するものなのです。母親自身の主体的な欲望には基づいていません。彼にピアノを習わせても、本気で彼をピアニストにしたいわけではないのです。ある意味、母親は空っぽなのです。

そして、この親に育てられた「僕」もまた母親の押し付けを嫌悪するだけで、主体的な何かを自身の中に育ててはきませんでした。そのため、強制に抗う言葉を持たず、臨界に達するとただ感情を爆発させることしかできません。母親の圧迫のないところ、あるいは弱い部分に、彼はあたかも自分の欲望があるかのように誤認します。たとえば小学校でバスケをやりたかったのも母親に強制されたサッカー少年団で自己承認を得られなかったからに他なりません。だから、中学に上がり部活として母親にも許容される環境ができると、バスケの熱も冷めてしまうのです。

部活をやめた「僕」は母親の命令で塾へ通うようになりますが、学校では友人もなく、かといってそれを苦にするでもなく三年生を迎えます。そしてクラス内で起きたある事をきっかけとしてふたりの少女と親しくなります。

ひとりはスクールカーストの外部にひとり立っているような、大人びた雰囲気の美少女「光屋かほ里」、もうひとりは正義正論をふりかざす委員長タイプの「真沢佳織」。ふたりのかおりは「僕」に近づいてきて、「僕」があるべき姿を規定し、現状の「僕」を否定します。

主人公は「真沢」と、求められるままに付き合い始めます。「僕」はそれまで「真沢」のことなどまったく意識していませんでしたが、「付き合う」ことになるのはバスケのときと同じで、母親の禁忌に触れるから(イコール自由)に他なりません。しかし、その交際は周囲には秘密で、廊下で手渡しされる「手紙」こそがその実体です。そして、「手紙」では饒舌に語られる「言葉」が、実際のデートではお互いの口から出てきません。出てきてもちぐはぐなやりとりにしかならないコミュニケーション不全。そこでは「言葉」が生きていません。

しかし、愛の「言葉」を綴っているはずの「手紙」も「かほ里」に言わせれば「借り物」ということになります。主人公が本当に心を寄せる「かほ里」は、こうして彼に呪縛をかけてしまうのです。「僕」は彼女に歌詞を書き続けます。しかし、それは「パクリ」であり「つくりもん」という評価しか得られません。「僕」はつくりものでない本当の「言葉」を求めることになります。

では、本当の「言葉」とは何であるのでしょう。主人公にとって本当の「言葉」は「かほ里」と自分の間を埋めるものであり、それは言い換えれば相手を自分の意志に従わせる「言葉」、自分を従わせようとする者に抗える「言葉」であるはずでした。

この小説には他にも少女たちが登場しますが、どの子も自分のほうから「僕」に近づいてきては「僕」に理想の姿を要求し、それに適っていないと言っては否定してきます。つまり、少女たちは母親のヴァリアントとして主人公の前に現れるのです。そして「僕」は少女たちに対抗する「言葉」を持ちません。

この「強要と反抗の不可能性と服従」の組み合わせは、主人公には女性との関係性がそういものとして現れるとも言えますし、また主人公が望んでいるものだとも言えるでしょう。たとえば「僕」と「かほ里」のクライマックス場面での会話には多分に加虐被虐性愛的な匂いが感じ取れます。

しかし、この場面で「僕」の口から発せられた、何のかざりもないハダカの言葉も、彼の願うようには働いてくれませんでした。そして、この瞬間から主人公と少女たちの関係は大きく動いていきます。

「Words」と題された四部作となる予定のこの小説は、「かほ里」によって「創作者」たるべく呪いをかけられてしまった男の物語です。

はたして「言葉」は彼に反抗の力を与えるのでしょうか。それとも、そんな「言葉」は虚妄でしかないのでしょうか。「言葉」を紡ぐという営為は彼に何をもたらし何を奪っていくのでしょう。今後に目を離すことのできない作品です。https://www.amazon.co.jp/dp/B08798ND1V

この下は自作の宣伝です。『竜禍』も「セルパブ夏の100冊 2020」に載せていただきました。ついでにお読みください。全部 Kindle Unlimited で読めます。

 

セルパブ小説を読んでみよう 33 大西宏幸『神々の関ヶ原』

セルパブ小説を読んでみよう 35 諫山菜穂子『アーサークロニクル 1 – 魔剣の覚醒』

セルパブ小説を読んでみよう 33 大西宏幸『神々の関ヶ原』

表紙にも大きく書いてあるとおり現職国会議員の書いた歴史SFです。国会議員が小説を書くのは前代未聞かどうかはわかりません。すくなくとも現役小説家が国会議員になった例は古くは犬養健、今東光、近くは石原慎太郎、野坂昭如と結構あります。

小説家ではなかった国会議員が小説を書いた例も、この作者が初めてではないような気がします。とくに自分の理想とする社会を描いたユートピアSF小説なんてありそうです。

議員が自分の主張を書籍化して後援者に配るのはむしろよくあることで、かつては『日本列島改造論』なんてベストセラーもありました。しかし、広く配布するという目的を考えたとき電子書籍というのは不適です。たしかに価格を0円にしてkindleのURLを配布するという手もありますが、配られる方としては電子書籍をダウンロードするのは紙の本を貰うよりひと手間余計な気がします。

なるほど物としての本にはこういう有用性もあったのだなあと感心しつつ、なぜこの作者は電子書籍だけで上梓したのだろう、と疑問を抱きもしました。自民党の衆議院議員に自費出版するお金がないわけもないしね。しかも、この本、無料ではありません。私はアンリミテッドの読み放題で読みましたけど、kindle Unlimitedに契約していない人は250円払わなければ読めないのです。うむむむ、わけがわからん、ということで実際に読んでみたわけです。

最初に収録されている作品『神々の関ヶ原(戦国編)』は、不動明王を身に宿した石田三成の家臣である島左近が主人公です。彼には矜羯羅童子か制タ迦童子が憑りついています。関ヶ原ですから敵は徳川家康ですが、家康はヨーロッパからポルトガル商人を通じて黒魔術の秘薬を手に入れています。不死身の軍隊を作る薬と言われたそれはじつは人を吸血鬼にする薬でした。こうして関ヶ原の戦いは仏の眷属対吸血鬼の戦争となるのですが、物語は短編なので戦が始まるところで終わりです。

これは作者はどうするつもりでいるのでしょう? 西軍が正義で、史実では勝利した東軍は悪です。正義が虚しく滅びてしまうのか、それとも歴史は逆転して豊臣の天下となるのか。

ええっ、どうなるの?と次の収録作『神々の関ヶ原(魔界転生編)』へと読み進みますが、この作品では、黒魔術の力で冥界からよみがえった武蔵坊弁慶と金剛夜叉明王を身に宿した前田慶次郎が戦います。で、戦の決着がつくかというと、ここでもつきません。三本目の『惟神の異界』は関ヶ原の話ではありませんので、とりあえず関ヶ原の戦いは終わっておりません。

で、結果、電子書籍にしたのが納得できました。最後のほうには作者の政治信条とかも書かれてはいるのですが、その前に載っている三本の小説にはそんな思想は微塵も読み取れません。たんに、自分が好きな設定で好きな話を書いちゃいました、という潔いまでの電子書籍的小説です。

たしかにこれを紙の本にして後援会に配るわけにはいきますまい。きっと腹を立てる人が出てくる。もっとも、私は議員であることと小説を書くことを両立できなくてもべつに悪いことじゃないと思うんです。どっちも人に貼りつけたラベルにすぎないです。ただ「国会議員」というラベルは他人に剥がされてしまうかもしれませんが、「作家」のラベルは自分で剥がさない限り剥がれないですからね。https://www.amazon.co.jp/dp/B01M5L0Q7J

自作の宣伝です。これらも「好き放題書いちゃいました」の電子書籍です。ついでにお読みください。全部 Kindle Unlimited で読めます。

 

セルパブ小説を読んでみよう 32 小鳥遊菜絵『生の果て 願いの先:インヴェンション』

セルパブ小説を読んでみよう 34 藍田ウメル『Words・Ⅰ』

 

セルパブ小説を読んでみよう 32 小鳥遊菜絵『生の果て 願いの先:インヴェンション』

もう何十年か前のことになりますが、母方の祖父が亡くなったとき、伯母の夢枕に祖父が立ちまして、伯母曰く「お父さんが〇〇子(うちの母)に何か言いたがっている」とのこと。

いったい祖父は母に何を言い残したかったのかと親戚中が盛り上がるなか、とうとう母の枕元にも祖父がやってきました。そして、「〇〇子、おまえは牛乳を飲め」と告げて消えたそうです。

牛乳嫌いの母(当時50代)へどうしても伝えたかったことがそれか。夢枕の無駄遣いだと母は立腹しておりました。

さて今回は幽霊の話です。といっても、ホラーではないですね。小鳥遊菜絵『生の果て 願いの先:インヴェンション』。

霊の見える女子高生、園宮華が主人公。学校へ行くと友だち美智子の後ろには友だちの死んだお父さんがいて、四六時中美智子にくっついて歩いています。屋上にはずっと昔に飛び降り自殺した吉野さんがいます。彼らが見えて話もできることは他の誰にも内緒です。といっても、家族の他には美智子と美術部の風見先輩くらいしか話をする相手もいないのですが。

この力、どうやら生まれもったものではなく三年前の九死に一生を得た交通事故以来らしい。らしい、というのは、華には三年前の事故を境にしてそれ以前の記憶がないからです。つまり記憶喪失ですね。華には両親も兄もいますが、その家族は病院で目覚めたときに彼女に「家族」だと告げたひとたち。頭では家族だと理解できているのですが、思い出がないので実感として感じられないでいます。しかも、両親と兄の三人は何やら彼女に隠しごとをしている様子。

華は家でも外でもさびしい少女です。心を許せるのは美智子ひとりきり。そんな華の前へ華にそっくりの幽霊が現れます。

幽霊とはこの世に強い執着を残して死んだ者たち。死んだときに何かとても大切なものを失った人たちです。たとえば「おじさん」は娘美智子のことが気にかかってこの世に残ってしまいました。

生き残った者だけが死者を失ったわけのではないのです。死者もまた死ぬことで生きている者を失う。人と人との間のつながりが死によって絶たれるのです。「おじさん」は美智子を失うことに耐えられなかったので幽霊になってしまいました。

幽霊になる理由はひとりへの愛着だけとは限りません。人の世そのものへのこだわりの場合もあります。とくに自殺者はあらかじめ「つながり」を失ったがために死を選んだわけですが、死ぬことで絶対的に喪失してしまうのです。

生者への執着は死者を幽霊としてこの世でもあの世でもない「冥界」にとどめますが、生者とつながることはできないのでそれは苦痛以外の何ものでもありません。この苦痛の度合いが強ければ幽霊は己を保つことができなくなり悪霊へ変質してしまいます。悪霊は生死の境界を越えて生者に害をなします。とりわけ冥界に近い者、華のように強い霊感を持つ者が影響を受けやすいのです。

そんな幽霊の世界にも、冥界の仕組みに自覚的な霊たちがいることが徐々に明らかになっていきます。そして、そこには対立や抗争があることも。

さて、華にそっくりな少女の霊は何者なのか。生者よりも死者のほうに知り合いが多い孤独な主人公は、この生者の世界とどう折り合いをつけていくのでしょうか。https://www.amazon.co.jp/dp/B00J7H9L9I

自作の宣伝です。幽霊そのものは出てきませんが、降霊術で呼べることにはなっております。死者は皆んな、もう怖いものがないので傲慢で身勝手という設定です。作者のひねくれた性格が出てしまいました。ついでにお読みください。全部 Kindle Unlimited で読めます。

 

セルパブ小説を読んでみよう 31 遊良カフカ『先生失踪: 失われた原稿を求めて』

 セルパブ小説を読んでみよう 33 大西宏幸『神々の関ヶ原』

セルパブ小説を読んでみよう 31 遊良カフカ『先生失踪: 失われた原稿を求めて』

仕事の引継ぎって、するのもされるのもめんどくさいですね。とくに説明もなしに引き継ぐのは本当に最悪です。

前任者のやっていることが正しいとしても、それがベストかどうかはわからないわけで、不合理なことをしているなあと思っても、そこには何か特別な理由があるのかもしれない。何の根拠もないとわかるまでとりあえず前任者と同じやり方で様子を見るか、それとも自分のやり方に修正して問題が起きたらそのときに考えることにするか。

時間がないときはどうすればいいのかなあ。主人公に許されたのは四十八時間。彼女の場合、圧倒的に不利な条件です。何しろやらなければならない仕事というのが、失踪した脚本家の代わりにドラマの最終回を書くということ。作業だけでもそこそこ時間がかかるのに、ストーリーを作ってなおかつドラマを終わらせなければいけない。脚本家の元弟子であっても断ってしかるべき仕事ですが、仕事のないフリーライターの身には「来年四月の深夜枠」というエサはあまりに美味しすぎました。

遊良カフカ『先生失踪: 失われた原稿を求めて』。

師走の十三日の金曜日も終わろうとしていたとき、売れないフリーライター山崎水菜(独身三十過ぎ)のところへ、TCTテレビのプロデューサー野口から電話がかかってきます。かつてのシナリオ書きの師匠、淡路十三が失踪したというのです。しかも、連続ドラマの最終回の脚本を書かないままで。

目先の三万円に釣られて水菜はTCTに出向きます。着いてみるとスタッフ一同困り果てた顔で集まっています。もはやドラマ『ディペンド 令和の捜査官』のスケジュールは限界を超え、週明けには撮影をしないと間に合わない状況です。

テレビ業界華やかなりし頃の旧態依然としたチーフプロデューサー富田は、水菜に代役として最終回の脚本を書くよう依頼してきます。初めは断っていた水菜でしたが、美味しい餌にとうとう引き受けてしまいます。

前振りと複線だらけで混乱しているドラマは、彼女ひとりの力ではどうにもまとめようがありませんでした。先生は人間としてはクズでも、構成はしっかり作る作家だったと、水菜は先生が失踪したホテルへ行き、パソコンを調べます。パスワードが水菜の携帯番号であるあたり、ふたりの関係は単なる師弟関係ではなかったようです。五年の空白があるといっても、主人公が仕事を受けた理由は「四月の深夜枠」のためだけとは言えなさそうです。

さて、先生はどこへ行ったのか、ドラマの結末はどうなるのか。リーダビリティ高いです。読者をぐいぐい引っ張っていく筆力には脱帽です。中編なのがもったいない。もっと読んでいたいと思いました。これ、長編でも絶対に面白いはず。https://www.amazon.co.jp/dp/B08B7WG58P

自作の宣伝です。登場人物全員失踪しているみたいな話です。ついでにお読みください。全部 Kindle Unlimited で読めます。

 

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