『海軍乙事件を追う』

山本五十六連合艦隊司令長官戦死が海軍甲事件、そして古賀峯一長官以下連合艦隊司令部の遭難事件が乙事件である。

「戦死」ではなく「殉職」と発表された古賀長官の死は、巷間噂されたように捕虜となった長官が自決したためだったのか。

事件当時毎日新聞の記者としてマニラに駐在していた著者は、当初噂の信憑性には懐疑的だったが、戦後になって「古賀長官を見た」という人たちの話を聞くうちに疑念を抱くようになって、取材を始める。

関係者たちの証言から明らかになるのは、海軍上層部の保身による「事なかれ主義」から事件の真相究明がなおざりにされた事実であり、作戦計画書が敵に渡っているかもしれない可能性を直視できなかった上層部の「楽観主義」である。

しかし、この本から伝わってくるのは、当時の日本人全員が共有していた根拠の薄弱な「優越感」である。フィリピンの現地住民を低く見る視線は、決して軍人だけのものではなく、著者の記した言葉の端々にも自ずと滲み出している。時代の限界ということはあるとしても、この本の元となる原稿が書かれた昭和四十八年、少なくともそのときまで著者には無意識にこの感覚が生きていたのだ。

フィリピンでアメリカと戦うとはどういうことなのか。フィリピンとはただの場所なのか。そこは誰の土地なのか。

おそらくもはや「戦前」である現在、日本人は再びこの子どもっぽい感覚に踊らされようとしているように見える。

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