セルパブ小説を読んでみよう 5 斎藤 Hiro『明日の風』

やはり並び順上位にある方が読まれやすいのでしょう。英語のレビューが並んでいる本など見ると、逆効果じゃないのかなあと思いますが、払った費用以上の売り上げがあるのかもしれません。今回はあまり目立っていないセルパブ本を読もうと決めて、斎藤 Hiro さんの『明日の風』を選びました。内容紹介もあっさりしているし、表紙もご自分で作られているような感じです。ガツガツした感じじゃないのがかえって気になりました。

主人公裕樹は地方都市に住む高校三年生。両親と三人暮らしでしたが、半年前に父親が交通事故に遭い、生活が一変しました。入院中の父親はいまだ意識が戻らず、母親は現実を認められないまま悲嘆に暮れています。泣いてばかりいる母親との関係も険悪になってしまいました。それまでは何の疑問もなく大学に進学するつもりでいた主人公ですが、ずっと専業主婦だった母親に経済的な期待はできず、学校の進路調査では悩んだすえ「就職」を選ぶのでした。将来に希望を持てなくなった主人公にとって心の支えはバイクです。親友の和義と出かけるツーリングだけが唯一の慰めでした。

こんな主人公ですが、じつは彼には誰にも言っていない秘密がありました。それは死者の想いを感じることのできる力です。その力――彼は「ビジョン」と呼んでいます――はいつもふいに、オレンジの匂いとともに彼をとらえます。幼い頃から発現していたこの能力に気づいていたのは父親だけでした。ビジョンはまるで罰のように彼を苦しめてきました。祖母も死者の声が聞こえる人でしたが、そのあまりの苦しさに自ら耳をふさぎ、死者だけでなく生きている者たちとの関わりも絶ってしまっていました。主人公はいずれ自分も祖母のようになるのではないかと恐れています。

夏を迎えたある朝、また強烈なオレンジの匂いがして、主人公はビジョンを見ます。それは自らがバイクに乗って暴走族の少年を殺害するというものでした。これはいったい誰の想いなのか、何を意味しているのかまったく分かりません。不確かな自分の未来だけでも悩ましいのに、このうえ他人の強烈な憎悪まで背負わなければならないのです。しかし、こんな人生最悪の状況で、主人公はクラスメイトの成美とひょんなことから話をするようになります。ふたりは次第に距離を縮めていき、いつの間にか恋をしている自分に主人公は気づきます。

こうして主人公の高校最後の夏は始まります。次第に主人公を侵害していく死者の悪意。愛する者を守ろうとして知る己の無力さ。死者たちの想いは若い主人公には重すぎるようです。バイクは彼をいったいどこへ連れて行ってくれるのでしょう。はたしてたどたどしい恋は成就するのでしょうか。そして、夏が終わったとき、少年は何を失い、何を手にしているのでしょうか。

まさに「アオハルかよ」って感じの甘酸っぱい青春ミステリホラーです。カルピスでも飲みながらどうぞ。https://www.amazon.co.jp/dp/B07MPSD6XQ

以下は僕のセルパブ本の宣伝。全部 kindle unlimited で読めます。

セルパブ小説を読んでみよう 4 ヤマダ マコト『山彦 (新潟文楽工房)』

セルパブ小説を読んでみよう 6 斜塔乖離『ンルドヴァは瑪瑙の模様の夢遊の誤謬』

セルパブ小説を読んでみよう 4 ヤマダ マコト『山彦 (新潟文楽工房)』

セルパブ小説4冊目。上・中・下の三巻を一冊にまとめたパッケージ本もkindle unlimitedで読めるので、そちらを選びました。内容に違いはないはず……たぶん。

洋食器で有名(小学校の社会でやりました)な燕三条が舞台。二十一世紀の現代に生きる山の民をめぐるファンタジー。とはいえ出だしはまるでファンタジーらしくなく、むしろ社会派推理小説のようです。地方新聞の記者をしている主人公の須見は連続殺人事件の取材の過程で、山彦やヤツカハギと呼ばれる山の民の存在を知ります。社会から逸脱した暮らしに惹かれて彼らに接触した彼はそこでフミという盲目の少女に出会います。死者の霊を見、声を聴き、風を操ることのできるフミは、山彦たちからエダカと呼ばれ、彼らの精神的な要石のような存在でした。

一方、市会議員の高橋は地元企業の不正を追及しようとして山彦の存在を知ります。彼は自身の出世のために山彦を利用しようと考えます。しかし、それを喜ばない者もいて――

多視点で進んでいくストーリーには、それこそミステリで使われる構成上の技巧が隠されていて、それは中盤で明らかになりますが、本作を単なるファンタジーの枠に収まらないエンターテインメント作品にしています。

山の民たちが食事を作る場景の描写や、食べてみたい物は何かと聞かれたフミが「牛肉」と答える理由などは、あたかも実在のヤツカハギに取材したようなリアリティがあります。彼らと一緒に山で暮らしてみたいと思わせるほどに生き生きとヤツカハギの生活が描かれています。

サンカというか山人は、近代日本においては非日本的なるものの象徴として、半ば厭われ半ば憧れられてきた存在でしょう。定住農耕民は大宝律令以来ずっと管理されてきたのです。管理されるとは数えられることに他なりません。柳田の言う常民は年齢を数えられ、人数を数えられ、生産高を数えられ、常に支配する者に数えられてきました。管理を苦痛に思うなら、数えられないように支配者の視界から逃れなければいけません。たとえば徴兵され兵士として数えられるのが嫌でも、この世間には逃げ場などないのです。数えられたくなければ世間というシステムの外に出る、それしか選択肢はなく、つまるところサンカになるとはそういうことだったのかもしれません。

しかし、世間の外に出るとは、この世間にいない人になるということですが、この世にいない人は即ち死者です。この小説でヤツカハギたちが死と寄り添うように生きているのは、その意味で必然と言えるでしょう。ただ、計数化からの自由という消極的な自由は、決して何物にも縛られないということではありません。ヤツカハギはヤツカハギでまた、自分たちを縛りつけているものを感じざるを得ないのです。

IT化した社会は、中国の例を見るまでもなく、今後ますます人を計数化するようになるでしょう。その反動はサンカを近代史の闇から引きずり出してくるかもしれません。そのとき、この小説は新しいサンカ小説の嚆矢として認められることになるでしょう。

ボリュームのある一冊ですが、面白さはそれ以上です。ハイ・ファンタジーや異世界物はもう飽きたという人、ジョナサン・キャロルみたいなファンタジーが読みたいという人はぜひダウンロードを。

https://www.amazon.co.jp/dp/B0127URPDA

ついでに僕の本も読んでくれるとうれしい。

セルパブ小説を読んでみよう 3 ことわ荒太『月の裏に望む』

セルパブ小説を読んでみよう 5 斎藤 Hiro『明日の風』

セルパブ小説を読んでみよう 3 ことわ荒太『月の裏に望む』

「さて、どのセルパブ小説を読もうか」となったときに、kindle unlimited で読めるというのは第一条件だけれども、その次はコメントの数でしょうか。同じセルパブ作家としてやはり気になるのは、どれくらい多くの人に読まれているかということです。無料ならばある程度は読まれるでしょう。そのとき読者が費やすのは余った時間だけですから。しかし、対価を払ってまで読むとなれば、その小説にはそれだけの価値があると認めたことを意味します。ただ、kindle本の場合、書店で物質的な本を選ぶときとは違って大抵は中身が見られません。内容紹介を読んで面白そうだと思っても、それだけでは手が出しづらい。だから、他の読者がどういう感想を持ったかということが、読むに足る本かどうかを見極めるいちばんの手掛かりになります。読んだ上にコメントまで残すのは、良くも悪くもその小説に心を動かされたということに他ならないでしょう。コメントの多い小説はそれだけ「強い」何かを持った本なのです。その意味で、この本はとても「強い」本でした。

複数の男女間の恋愛を描いた六編の連作短編集。それぞれの話の主人公の視点を通して、複雑な男女関係が多層的に描かれていきます。どの話の主人公も別の話では登場人物のひとりとして「見られて」います。そして、そうした視点の交換が効果的に使われていて、読者が既に読んだ部分をもう一度読み返さざるを得ないようにこの本は書かれています。ある話でさらっと書かれた何げない事柄が、別の話では非常に重い意味を持たされていて、最初に抱いた印象をしばしば上書きされるのはなかなか面白いものです。

作者が描いているのは人間の単純な二面性ではありません。一見は人の外面と内面のように見えますがそうではなく、「月の表と裏」と喩えられているように「見える」ものと「見えない」ものの関係なのです。ですから、登場人物のなかには普通の人間には見えないものが見えたりする者もいるのです。

人の内面は自分自身にしか見えません。月の裏側は、裏側へ回ることができれば見えるのです。ここに描かれているのは他者の内面ではなく、見えていない部分です。単なる知り合いと友人ではもちろん、パートナーや恋人と家族でも見えない部分は違います。他者を「見る」「見てしまう」、他者に「見せる」「見られる」という変化が、自分自身の内面に折り重なって感情を変化させます。その感情の機微をていねいに作者は描写しています。

安易なポジティブさに堕しないところにも好感が持てました。大人の人に読んでもらいたい一冊です。https://www.amazon.co.jp/dp/B07HXZHYSX/

ついでに僕の『〈堕剣士〉キロク 竜禍』もダウンロードよろしく!

セルパブ小説を読んでみよう 2 小野寺 秀樹『桜七(サクラナナ)』

セルパブ小説を読んでみよう 4 ヤマダ マコト『山彦 (新潟文楽工房)』

セルパブ小説を読んでみよう 2 小野寺 秀樹『桜七(サクラナナ)』

『〈堕剣士〉キロク 竜禍』をセルパブしましたが、ふと気になったのは「他のセルパブ作家たちはどんなものを書いているのだろう」ということ。で、kindle unlimited で読めるものを実際に読んでみることにしました。

で、2冊目に選んだのが、震災サバイバルアクション・SF『桜七(サクラナナ)』。セルパブ界のベストセラーです。売れている物には絶対に売れる理由があるにちがいありません。それを探るのが今回の目的です。

ストーリーは主人公鮫島が減圧室のような場所にいるところから始まります。耐えがたい苦痛に意識を失い、目覚めたのは病院の大部屋病室みたいな部屋です。でも、そこには窓がない。主人公は何か科学実験の被験者にされたのでしょうか。手当てを受けながら、鮫島はひとりの女性の名前と今後の予定を聞かされますが、自分に何が起きたのかは理解できていません。というわけで、読者は主人公と一緒に何が起きたのかという謎を解いていくことになります。

場面は飛んで四か月後、鮫島はマンションの自室で、悪夢から目を覚まします。戦場で戦っている夢です。敵の攻撃にさらされ反撃できない絶望的な状況、主人公は目の前で妹を殺されてしまいます。どうやらこのことが鮫島のトラウマになっているようです。しかし、それ以外の記憶は失われているのでした。彼はいま、過去の記憶を喪失したままで、誰だかわからない人間に指示された場所へ住み、指示された職場で働いています。ただ、身体トレーニングだけは指示ではなく自発的に行っています。その理由は彼自身も理解していません。どうやら夢で見た記憶と関係がありそうです。

そうした日々に突然、坪井奈菜という女性が現れます。鮫島は新入社員の彼女に既視感を覚えます。しかし、何も思い出すことができません。次第に親しくなっていきますが、やはり何も思い出せないままです。一方、三〇キログラムの荷物を背負い二五キロメートルをジョギングするなど、トレーニングはより過酷になっていきます。休日には東京から首都圏外へ抜ける道をくまなく走り、さらには山の中を歩き回ったりするのですが、本人もよくわからずに義務感にかられて行っているのです。

そして、半年後。直下型大地震が東京を襲います。オフィスにいた鮫島は倒れてきた什器が頭部にぶつかり気を失ってしまいます。しかし、意識が戻ったとき、彼は失われていた記憶も取り戻していました。そして、彼は坪井奈菜と数名の同僚を連れて倒壊寸前の高層ビルを脱出し、戦場のような東京を徒歩で逃げ出します。こうして、本作の大分を占める避難行が始まります。被災地の真に迫る描写はこの小説の魅力のひとつですが、とりわけ震災直後の崩壊した東京とパニックに陥った人々の描写は読み応え十分です。

富士山の噴火、悪化する治安と次々と目の前に現れる困難を、鮫島は鮮やかに、ときに冷酷と見えるほどの冷静さで乗り越えていきます。それはすべて奈菜ひとりを守るためなのです。サバイバル行を続けていく過程で、主人公を巡る謎は徐々に明らかになっていきますが、主人公が必死に守る(それこそ大怪我をして血まみれになって)坪井奈菜という女性は何者なのかという謎が明かされるのは、ほとんどラスト間際です。そこには誰もがあっと驚く答えが待っています。

ネタバレになってしまうのでこれ以上詳しくは書きませんが、読み始めたら最後まで一気に読んでしまうこと間違いなし。次はどうなるのだろうという展開の上手さに加えて、主人公と奈菜に関する謎の明かし方も上手い。ベストセラーになるのも納得の一冊でした。https://www.amazon.co.jp/dp/B00WN7HS44/

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セルパブ小説を読んでみよう 1 大滝七夕『武侠小説 東京開封府天狗伝説』

セルパブ小説を読んでみよう 3 ことわ荒太『月の裏に望む』

セルパブ小説を読んでみよう 1 大滝七夕『武侠小説 東京開封府天狗伝説』

『〈堕剣士〉キロク 竜禍』をセルパブしましたが、ふと気になったのは「他のセルパブ作家たちはどんなものを書いているのだろう」ということ。で、kindle unlimited で読めるものを実際に読んでみることにしました。

最初に選んだのが『武侠小説 東京開封府天狗伝説』。何でこれなのかって単純に金庸とか武侠小説が好きだから。

舞台は北宋は神宗の時代――ということで調べてみたら、包丞が活躍する『三侠五義』の仁宗の後で、言わずと知れた『水滸伝』の徽宗の前。作中にも名前だけ登場する王安石が新法と呼ばれる改革を推し進めるのに司馬光らの旧法派が対立し、長く政権闘争が続いた時代。そういえば、王安石は北方謙三の『水滸伝』でも出てくる名前ですね。

 主人公の源宗隆は開封府の役人で、天狗殺法の源観察と呼ばれる剣の達人。じつは日本人です。元は京都の鞍馬寺の僧侶でした。その頃の日本は平安末期、すでに武士の時代を迎えています。鞍馬寺といえば牛若丸も修行したお寺ですが、仏道の道場であると同時に武芸の道場でもあったのです。この鞍馬寺で随一の武術僧になった主人公でしたが、お山の大将で一生終わることを嫌い、留学僧成尋の護衛を勝手に名乗って日本を飛び出し、宋へ渡ってきたのでした。宋で還俗した彼は、皇帝の知遇を得ていた成尋の伝手で緝捕使臣の職を得たというわけです。

 犯罪捜査を務めとする緝捕使臣の源観察は、高級官僚が襲われたという知らせを受けてその屋敷へ軽功で出かけていきます(開巻早々に軽功ですよ。武侠好きにはたまりません)。家内皆殺しの現場に残された痕跡から賊は槍の扱いに長けた者だとわかりますが、館内を荒らしまわっているのに金銀財宝は盗んでいない。どうやら武器を探していたらしい(うんうん、この宝剣を巡る争いというのも武侠小説の定番)。主人公が新しい血の跡を見つけて屋根に上がり城壁まで追って行くと、そこに黒い頭巾と道袍の三人組が待ち受けています。中央の一人は堂々とした体躯の男ですが、両脇の二人は五尺あるかどうかの女。一方が弓を持ち、もう一方は槍を持っています。槍弓二喬の名で知られる槍大喬、弓小喬の義姉妹です。彼らは自ら高官殺しの下手人であることを告げ、源観察に襲いかかります。立ち回りの場面は武侠小説の見所ですが、これが目の前で繰り広げられているかのように鮮やかに描かれています。しかし、そうそう簡単には勝負の決着がつかないのも武侠小説のお約束。

この後、秘密結社が出てきて、弓の名人が仲間になり、これまた強い美女が登場します。夜ごと寝所に美女が入れ代わり立ち代わり押しかけてきますが、主人公の身持ちが固いのは、いわゆる好漢だからでしょうか。この他にも令牌だとか、掌門だとか武侠物ではお馴染みのワードがぞろぞろ。全編弛んだりするところはなく、小気味よいテンポで一気に最後まで読ませます。

 金庸とか古龍とか武侠小説が好きな人なら絶対に読むべき一冊。面白そうだなと思ったら迷わずダウンロードしましょう。kindle unlimited の対象にもなっています。https://www.amazon.co.jp/dp/B01BJT8KMA/

 ついでに僕の『〈堕剣士〉キロク 竜禍』もダウンロードよろしく!

新作リリース!

セルパブ小説を読んでみよう 2 小野寺 秀樹『桜七(サクラナナ)』

新作リリース!

お待たせしました。

Amazon kindleより新作『〈堕剣士〉キロク 竜禍』をリリースいたしました!

前作『正者と死者と我らと』から1年。〈堕剣士〉キロクのシリーズでは『背徳の島』から1年半。もう少し早く出す予定だったのですが、案外、完成まで手間がかかりました。そのぶん中身は面白くなっておりますので、ぜひご購入ください。

https://www.amazon.co.jp/dp/B07ZZLGQWV/

価格700円ですが、kindle unlimitedでもお読みいただけます。