セルパブ小説を読んでみよう 24 如月恭介『明日に乾杯! 路傍に咲く一輪の野花』

なんという偶然でしょうか。

前回『行く先はきくな』で菊名を目指してひと晩中うろつきまわった挙句ようやく駅に到着したと思ったら――

今回の作品、如月恭介『明日に乾杯! 路傍に咲く一輪の野花』は、三十六歳男性、独身、ベンチャー企業の経理部長の田中さんが、菊名駅を午前七時十九分発の町田行き横浜線に乗るところから始まります。

なんだか徹夜で仕事に行くような変な感じ。こんな偶然てどのくらいの確率なんでしょうか。

この田中部長、いかにも財務系っぽい堅い人です。さらにミニマリストっぽいところもあって、高収入にもかかわらずお昼は自分で作ったお弁当。同僚と一緒に昼食に行くとか、そういう人間関係は面倒だと思うタイプ。

それならひとりで食べに行けばいいじゃん、という声もあるでしょうが、彼は贅沢や楽も好まないストイックな性分です。悪く言えば「陰キャのケチ」ですね。

でも、そういう彼に好意を寄せる女性もいて、野沢優子さんとおっしゃるのですが、この方も休みの日は家でオンデマンドのストリーミングで映画鑑賞をなさっているというなかなかの陰の者。

このふたりが会社の慰労会パーティーで「EQの高い人(他人の感情をコントロールする能力の高い人=社会的に頭のいい人間)」に対する反感を共有していると、容姿端麗の立花麗華二十六歳が突然現れて優子の前から田中部長を引っさらって行ってしまいます。

優子の失恋ですめば話はそれまでなのですが、半年ばかり後、田中部長が業務上横領罪で東京地検に逮捕されてしまうのです。

総額五千万円の使い込み。読者だって、きっと美人に貢いじゃったんだよなあ、と思うのに、ただひとり優子だけは田中部長の無実を信じます。で、大学時代の先輩大月小夜子に便利屋を紹介してもらいます。

この便利屋が主人公の矢吹です。凡庸な顔立ちのアラフォー男性。いろいろミスをしてはそのたびに「またやっちまったよ……まったく俺っていう男は――」と頭を抱え込む自虐癖のある人です。

横浜伊勢佐木町に事務所を構え、若い女性を秘書のように雇っているので、ベイシティで開業していたマーロウや、「百万ドルの脚線美」を秘書にしていたマイク・ハマーらから綿々と続く探偵の伝統をしっかり守っています。見た目と同様に派手なところはありませんが、地道な調査と周囲の人々(神奈川県警の犬飼刑事や元同僚の小夜子)の力を借りて、事件の真相へ迫っていきます。

これといって取り柄があるわけではないのに不思議と女性にはモテます。自己肯定感が低いというのは案外モテ要素なのかもしれません。自分への評価が低いと、相対的に他人に対する評価が高くなる。その結果、いつも自分のことより他人を優先してしまう。でも、それは傍にいる人の目から見れば「優しさ」以外の何ものでもないわけです。なるほどなあ。そんな主人公を助けてあげたくなるのも当然ということですね。

読後、自身の評価が上がるか下がるかわかりませんが、とにかくこの世界は肯定してみようかなという気にさせてくれる一冊です。IQでもEQでもないQで事件を解決する探偵のお話をお楽しみください。https://www.amazon.co.jp/dp/B07MBQLKSN

自作の宣伝です。嫌な奴ばかり出てきます。ついでにお読みください。全部 Kindle Unlimited で読めます。

 

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