セルパブ小説を読んでみよう 25 森 鶉『月の犬』

家にいるとゲームばかりしてしまいますね。これまでの人生で読書量がいちばん多かったのは、通勤時間が長かった時期でした。なんだかんだ言って、テレワークになると電子書籍はよけいに読まれにくいかも。悲しいなあ。

今回もジャケ買いです。大人っぽい表紙でしょ?

1969年の夏、日本のとある村で殺人死体が発見されます。このことに端を発した波紋が村人たちに広がってゆき、そして消えてゆくさまが、静謐にまたじっとりと湿度高く、ラテンアメリカの小説のようなマジックリアリズムで描かれていきます。

八歳になるサカエは神主をしている祖父母に育てられています。夏休みなのでずっと家にいますが、いかにも田舎な時間感覚で生きている祖父母との生活は、あたかもこの夏休みが昔からずっと続いているかのようです。

サカエの母親はカニクイザルの研究でボルネオへ行ったきり。定期的にお金を送ってきます。父親も働かなきゃと村を出て行って戻ってきません。

彼らが出て行った村の外では、非日常的かつ一回性の出来事が連続し、たとえば、人類が初めて月に降り立ったり、安田講堂に立てこもった学生に機動隊が放水したりと何かと慌ただしい感じです。一年後の大阪万博に向けての準備も急ピッチで進められています。

しかし、村の中では円環的に日常が繰り返され、そこに暮らす人々はまるでゲームのNPCのように同一の行動を反復しているのです。来る日も来る日も、「ホルモンやえちゃん」の八重は昼間は路地で玉ねぎの皮を剥き、鉄工所で働く山本は昼休みになると炎天下に出てきてぼおっとし、小津バアは卵を新聞紙でくるくると器用に巻くのです。

ここに多少ハレなことがあるとしても酒屋の娘万里江と毛糸工場の後継ぎ息子の縁談くらいのもので、それもどこかですでにあったような話でしかないのです。

彼らは日常を反復することにあまりにも無自覚に執着しているので、そこから逸脱した感情や意識が存在することにさえ驚きます。鉄工所の息子などは、酒屋の娘の縁談が決まってようやく自分が彼女に恋していることに気づくのです。

この直線的時間からは取り残された共同体で、サカエは八重から、塀の上を犬が歩く、と聞かされます。そして、濃すぎる茶粥で眠れない夜、屋根の上を歩く犬と会話します。犬は月から来たと告げ、明日は歩いて月へ帰ると言います。そして、夜が明けると祖父の神社では全裸の女性死体が発見されて大騒ぎになっています。

死体の女性は村の人間ではなく、殺されて運ばれてきたらしいとわかります。この絶対的他者の登場は共同体の内部に刑事という外部を引き入れ、内と外の交通を可能にしてしまいます。村人たちは不可逆的な変化の兆候を感じつつ、それぞれに自身の立ち位置を確かめていくことになります。

死体から生じた波が治まったとき、村は再び反復する日常を取り戻しますが、あたかも変化など存在しなかったかのごとくに振る舞うのです。

村の外、世界のいちばん遠い場所に月があります。そして、村の中、共同体のいちばん深い場所に夢があります。夢は村人たちの意識に通底し、死者たちとも繋がっていくのです。https://www.amazon.co.jp/dp/B07GKC7XJ9

自作の宣伝です。夢の魔法が出てきます。ついでにお読みください。全部 Kindle Unlimited で読めます。

 

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