セルパブ小説を読んでみよう 31 遊良カフカ『先生失踪: 失われた原稿を求めて』

仕事の引継ぎって、するのもされるのもめんどくさいですね。とくに説明もなしに引き継ぐのは本当に最悪です。

前任者のやっていることが正しいとしても、それがベストかどうかはわからないわけで、不合理なことをしているなあと思っても、そこには何か特別な理由があるのかもしれない。何の根拠もないとわかるまでとりあえず前任者と同じやり方で様子を見るか、それとも自分のやり方に修正して問題が起きたらそのときに考えることにするか。

時間がないときはどうすればいいのかなあ。主人公に許されたのは四十八時間。彼女の場合、圧倒的に不利な条件です。何しろやらなければならない仕事というのが、失踪した脚本家の代わりにドラマの最終回を書くということ。作業だけでもそこそこ時間がかかるのに、ストーリーを作ってなおかつドラマを終わらせなければいけない。脚本家の元弟子であっても断ってしかるべき仕事ですが、仕事のないフリーライターの身には「来年四月の深夜枠」というエサはあまりに美味しすぎました。

遊良カフカ『先生失踪: 失われた原稿を求めて』。

師走の十三日の金曜日も終わろうとしていたとき、売れないフリーライター山崎水菜(独身三十過ぎ)のところへ、TCTテレビのプロデューサー野口から電話がかかってきます。かつてのシナリオ書きの師匠、淡路十三が失踪したというのです。しかも、連続ドラマの最終回の脚本を書かないままで。

目先の三万円に釣られて水菜はTCTに出向きます。着いてみるとスタッフ一同困り果てた顔で集まっています。もはやドラマ『ディペンド 令和の捜査官』のスケジュールは限界を超え、週明けには撮影をしないと間に合わない状況です。

テレビ業界華やかなりし頃の旧態依然としたチーフプロデューサー富田は、水菜に代役として最終回の脚本を書くよう依頼してきます。初めは断っていた水菜でしたが、美味しい餌にとうとう引き受けてしまいます。

前振りと複線だらけで混乱しているドラマは、彼女ひとりの力ではどうにもまとめようがありませんでした。先生は人間としてはクズでも、構成はしっかり作る作家だったと、水菜は先生が失踪したホテルへ行き、パソコンを調べます。パスワードが水菜の携帯番号であるあたり、ふたりの関係は単なる師弟関係ではなかったようです。五年の空白があるといっても、主人公が仕事を受けた理由は「四月の深夜枠」のためだけとは言えなさそうです。

さて、先生はどこへ行ったのか、ドラマの結末はどうなるのか。リーダビリティ高いです。読者をぐいぐい引っ張っていく筆力には脱帽です。中編なのがもったいない。もっと読んでいたいと思いました。これ、長編でも絶対に面白いはず。https://www.amazon.co.jp/dp/B08B7WG58P

自作の宣伝です。登場人物全員失踪しているみたいな話です。ついでにお読みください。全部 Kindle Unlimited で読めます。

 

セルパブ小説を読んでみよう 30 波野發作『旦那サマは魔法が使えナイ』

セルパブ小説を読んでみよう 32 小鳥遊菜絵『生の果て 願いの先:インヴェンション』

セルパブ小説を読んでみよう 30 波野發作『旦那サマは魔法が使えナイ』

昭和でダーリンといえば「マクマーン&テイト社」の宣伝マンか、友引高校2年の恋多き男でありました。

それでもって、ひとをダーリンと呼ぶ女性は出身国、出身星系にかかわらずどうやら空が飛べるらしい、と僕らは漠然と理解していたのでありますが、本作のヒロインもやはり空を飛べるのです。

なるほどそこがキモか。出自に関係なく空が飛べれば、人をダーリンと呼んでもいいんですね。

というわけで今回は波野發作『旦那サマは魔法が使えナイ』です。この『奥さまは魔女』と対偶関係にあるような題名の小説を簡単にまとめるなら、魔法が使えない旦那様が冒険へ出かけるたびに、主人公が内緒で追いかけていって魔法でお手伝いするというパターンの連作短編です。

6話まで出ておりまして、主人公の出自や旦那様との関係にまつわる秘密が話を追うにしたがって徐々に明らかになっていきます。

興味深いのは、魔法とコンピュータのアナロジーのさせ方です。呪文をプログラミング言語のように描くのは、何もこの小説が嚆矢ではありませんが、ここまでコンピュータ側に寄せているのは珍しいと思います。

一つ一つの呪文はプログラム言語の命令のようなものでしかなくて、魔法で何かを実現しようと思ったら、複数の呪文を組み合わせて作らなければならないし、そこにいちいち変数とか入れていかなければならない。だから、そこに術者個々の個性が出てくるんですね。また、どれだけ大きな魔法を使えるかも、術者の持っている魔法回路の能力に依存していて、そこにソフトとハードの相関性も上手く使われています。主人公はスペックの低い魔法使いなので、その条件化でも機能する呪文の使い方を必死に考えなければなりません。

毎回旦那様が心配でついて行く主人公ですが、旦那様は心配もよそに自分で何とかしていて、結局いつも危ない目に遭うのは主人公自身です。そして、主人公が考えた魔法はたいてい主人公の予測を超えた何かとんでもない状況を引き起こします。このひとひねりした設定が面白いですね。毎話、読者は今度はどういうアクシデントが発生するのかと複線を探していく楽しみがあります。

まあ、かわいい子がダーリンと呼んでくれるなら、多少ドジでもいいですかね。意地悪な義母が始終家に出入りしているとか、気にさわるとすぐに電撃をくらわしてくるとかよりはずっといい気がします。https://www.amazon.co.jp/dp/B07HDT6YWL

自作の宣伝です。主人公はモテますが、甘々な感じとはならないです。たぶん性格が悪いんだと思います。「魔法の恋は恋ではないのか」問題についても言及しております。ついでにお読みください。全部 Kindle Unlimited で読めます。

 

セルパブ小説を読んでみよう 29 藤あさや『宝石の翼 セリエルの空』

セルパブ小説を読んでみよう 31 遊良カフカ『先生失踪: 失われた原稿を求めて』

セルパブ小説を読んでみよう 29 藤あさや『宝石の翼 セリエルの空』

文章に表現するのが難しいもの。音楽というのはその代表格ではないでしょうか。総じて芸術作品をそのまま言語化することは不可能事であって、どんな素晴らしい作品でも、というより素晴らしい作品ほど、その素晴らしさを言語によって読者の脳裏に再現することに困難さがつきまとうことになります。

どれだけ言葉を費やそうと、両腕を組み、片方の肩を引いて、目と口元に静かな微笑みを浮かべてこちらに微笑みかけている女性の姿を読者に正しくイメージさせることはできません。でも、ひとこと「モナリザ」と言ってしまえば、容易にその姿を思い浮かべさせることができます。

ある意味、言語では説明できないからこそ名前があるのです。ただそれも送り手と受け手に、その名前で呼ばれる対象についての共通の理解があるから成立するのです。「モナリザ」や「ゲルニカ」なら問題ありませんが、アーシル・ゴーキーの「肝臓は雄鶏のとさか」と聞いて絵を思い浮かべられる人は世界中でも片手ぐらいでしょう。

となると、名前がついているだけではどうにもなりません。ましてや音楽となったら……。十二音技法がと言われても、シェーンベルクがと言われても、知ってはいるけど具体的な音が思い浮かばない。セリエル音楽は名前すら知りませんでした。インターネットの凄いところは、こういうときも検索すれば現物にぶち当たるところです。なるほどね。こういうのですか。

藤あさや『宝石の翼 セリエルの空』。主人公がテルミンでセリエル音楽を奏でながら空を舞う物語。

舞台は第一次世界大戦が終わらない世界。ドイツは英国に爆撃機を送り込んできますが、それを迎え撃つのが主人公たち「英国の奇蹟」と呼ばれる聖歌隊です。彼らが搭乗する、ブーメランのような無尾翼機には、プロペラも推進器もついていません。代わりにわずかな電気信号で風を操るエーテル機関を積んでいます。この物理法則に反した機関を操ることができるのは、へそに宝玉をつけて生まれてきた、声変わり前の少年かケーニヒスベルクの魔女だけです。

少年たちは軍人ではありません。国教会に所属する聖歌隊です。しかし、名のない島に集められた少年たちは、空を飛ぶ自由と引き換えに空を戦場として戦わなければなりません。それでも、少しでも声変わりを遅らせようとしたり、効果はないのに去勢してみたりするほど、空を飛ぶ歓びは彼らを強く魅了しています。

十二歳の「僕」はその中では取り立てて目立つところのないひとりです。「スノウホワイト」と呼ばれ、ときには女装させられて女の子の代わりをさせられてしまうような子ですが、聖歌隊に入る前には母親から「取り替え子」として虐待されていました。しかし、「剣と魔法」と呼ばれるドイツ軍パイロットを撃墜したことから、主人公を取り巻く状況は少しずつ変わっていきます。主人公は聖歌隊の存在に、魔女にまつわる何か疎ましいものが潜んでいるのを感じるようになります。

ワルプルギスの夜、主人公は自分そっくりの魔女の幻を見ます。その魔女は「取り替え子」である自分の対であるのかもしれません。すべてはあらかじめ決定しているとするダンの時間論が正しいなら、彼女は同じ現実に存在しないとしても、可能世界のどれかには存在しているに違いないのです。

そして、変化は周囲だけではなく、主人公自身にも訪れます。それはひとつのモラトリアムの終わり、そして、新しいモラトリアムの始まりでした。

文章に表現するのが難しいものに、スポーツというのもあります。観戦ではなく体感するものとしてのスポーツ。試合のなかで一瞬感じる、自己と世界が融合したような高揚感を、どう表現したものか。体感することでしか味わえない歓喜というのは難しいです。しかし、この小説ではエーテル機関機のコックピットで主人公の感じる歓びが見事に表現されています。結末がしっくりくるのも、この表現が成功しているからこそでしょう。

モラトリアムは永遠に続くものなのか、僚友と再び空でまみえる日は来るのか、いつか続編を読みたいものです。https://www.amazon.co.jp/dp/B07MHB32VT

自作の宣伝です。魔女が出てきます。共通するのはそれだけかな。少年は出てきません。すれっからしがぶつぶつ文句を言う物語です。ついでにお読みください。全部 Kindle Unlimited で読めます。

 

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