セルパブ小説を読んでみよう 29 藤あさや『宝石の翼 セリエルの空』

文章に表現するのが難しいもの。音楽というのはその代表格ではないでしょうか。総じて芸術作品をそのまま言語化することは不可能事であって、どんな素晴らしい作品でも、というより素晴らしい作品ほど、その素晴らしさを言語によって読者の脳裏に再現することに困難さがつきまとうことになります。

どれだけ言葉を費やそうと、両腕を組み、片方の肩を引いて、目と口元に静かな微笑みを浮かべてこちらに微笑みかけている女性の姿を読者に正しくイメージさせることはできません。でも、ひとこと「モナリザ」と言ってしまえば、容易にその姿を思い浮かべさせることができます。

ある意味、言語では説明できないからこそ名前があるのです。ただそれも送り手と受け手に、その名前で呼ばれる対象についての共通の理解があるから成立するのです。「モナリザ」や「ゲルニカ」なら問題ありませんが、アーシル・ゴーキーの「肝臓は雄鶏のとさか」と聞いて絵を思い浮かべられる人は世界中でも片手ぐらいでしょう。

となると、名前がついているだけではどうにもなりません。ましてや音楽となったら……。十二音技法がと言われても、シェーンベルクがと言われても、知ってはいるけど具体的な音が思い浮かばない。セリエル音楽は名前すら知りませんでした。インターネットの凄いところは、こういうときも検索すれば現物にぶち当たるところです。なるほどね。こういうのですか。

藤あさや『宝石の翼 セリエルの空』。主人公がテルミンでセリエル音楽を奏でながら空を舞う物語。

舞台は第一次世界大戦が終わらない世界。ドイツは英国に爆撃機を送り込んできますが、それを迎え撃つのが主人公たち「英国の奇蹟」と呼ばれる聖歌隊です。彼らが搭乗する、ブーメランのような無尾翼機には、プロペラも推進器もついていません。代わりにわずかな電気信号で風を操るエーテル機関を積んでいます。この物理法則に反した機関を操ることができるのは、へそに宝玉をつけて生まれてきた、声変わり前の少年かケーニヒスベルクの魔女だけです。

少年たちは軍人ではありません。国教会に所属する聖歌隊です。しかし、名のない島に集められた少年たちは、空を飛ぶ自由と引き換えに空を戦場として戦わなければなりません。それでも、少しでも声変わりを遅らせようとしたり、効果はないのに去勢してみたりするほど、空を飛ぶ歓びは彼らを強く魅了しています。

十二歳の「僕」はその中では取り立てて目立つところのないひとりです。「スノウホワイト」と呼ばれ、ときには女装させられて女の子の代わりをさせられてしまうような子ですが、聖歌隊に入る前には母親から「取り替え子」として虐待されていました。しかし、「剣と魔法」と呼ばれるドイツ軍パイロットを撃墜したことから、主人公を取り巻く状況は少しずつ変わっていきます。主人公は聖歌隊の存在に、魔女にまつわる何か疎ましいものが潜んでいるのを感じるようになります。

ワルプルギスの夜、主人公は自分そっくりの魔女の幻を見ます。その魔女は「取り替え子」である自分の対であるのかもしれません。すべてはあらかじめ決定しているとするダンの時間論が正しいなら、彼女は同じ現実に存在しないとしても、可能世界のどれかには存在しているに違いないのです。

そして、変化は周囲だけではなく、主人公自身にも訪れます。それはひとつのモラトリアムの終わり、そして、新しいモラトリアムの始まりでした。

文章に表現するのが難しいものに、スポーツというのもあります。観戦ではなく体感するものとしてのスポーツ。試合のなかで一瞬感じる、自己と世界が融合したような高揚感を、どう表現したものか。体感することでしか味わえない歓喜というのは難しいです。しかし、この小説ではエーテル機関機のコックピットで主人公の感じる歓びが見事に表現されています。結末がしっくりくるのも、この表現が成功しているからこそでしょう。

モラトリアムは永遠に続くものなのか、僚友と再び空でまみえる日は来るのか、いつか続編を読みたいものです。https://www.amazon.co.jp/dp/B07MHB32VT

自作の宣伝です。魔女が出てきます。共通するのはそれだけかな。少年は出てきません。すれっからしがぶつぶつ文句を言う物語です。ついでにお読みください。全部 Kindle Unlimited で読めます。

 

セルパブ小説を読んでみよう 28 蒼機七『泣き虫魔女と盟約の黒き竜』

セルパブ小説を読んでみよう 30 波野發作『旦那サマは魔法が使えナイ』

セルパブ小説を読んでみよう 28 蒼機七『泣き虫魔女と盟約の黒き竜』

非常事態宣言は解除されましたが、コロナ以前の元の生活はまだ当分戻ってこないようです。僕らは悪い魔女に呪いをかけられた眠りの森の王国の住人みたいなもので、まだまだ悪い夢から抜け出せないわけです。

おとぎ話ならお姫様が王子様とキスしてくれればすべては元に戻るのですが、現実では王子様はまだ現れず、そもそもお姫様がどこにいるのかさえわかっていない。今回の作品、蒼機七『泣き虫魔女と盟約の黒き竜』の騎士ロワン君なら「呪われ姫」を見つけられず、冒険を始めることさえできないところです。いやはや。

魔女と騎士が囚われの竜を救いに行くお話、と書いてしまえばとても単純になってしまうのですが、登場人物一人ひとりの心情や、背景となる世界の設定に細かくこだわっていて、読みどころはむしろそちらにあると言えるかもしれません。

ガリアン帝国の皇女として生まれたヴィシャスでしたが、生まれながらに帝国に災いをもたらす【燼滅の魔女】と予言され、母親とふたり宮廷を追われて暮らしていました。やがて母親が亡くなり、ひとりになった彼女を待ち構えていたのは幼い女の子には苛酷すぎる運命でした。

チャイルド・マレスターの魔手をどうにか逃れたと思いきや、森に逃げ込んだヴィシャスは魔物ヘルハウンドに襲われ瀕死の重傷を負ってしまいます。生まれついての不運さに一度は死を望んだ彼女でしたが、死んだ母親の望みは自分が生きていくことだと気づき、たまたま巡り会った不死の黒竜ギルフォードと契約を結びます。

〈魔物憑き〉となった少女は不死の力を得ますが、代償として〈痛み〉を差し出さなければなりませんでした。〈痛み〉を失った人間は徐々に感情を失っていき、十年で廃人となってしまうのです。そしてまた、黒竜はもうひとつ彼女に約束させます。その十年間にヴィシャスは黒竜のためにあることをしなければなりません。

その後、ヴィシャスは黒竜とともに帝国を経巡り、傭兵として魔物討伐にいそしんでいました。それはすべて父親である皇帝に会いたい一心でしていたことですが、十六歳になったときその願いを逆手にとられ奸計にはまってしまいます。黒竜は何とか彼女を逃げさせますが、自分は帝国に捕らわれてしまいます。

またひとりに戻ったヴィシャスは辺境に逃げてひっそりと暮らしていました。黒竜との約束を果たせぬまま期限の十年まであと半年と迫ったある日、シャンドリア王国騎士のロワンが訪ねてきて、黒竜の救出を申し出ます。

ヴィシャスは黒竜を救うため、そして十年前の約束を守るために騎士と再び帝国へ向かうことになります。

物語は王国騎士、魔女、王国騎士の妹、黒竜、魔物の視点からおおむね一人称で語られます。何でこんな面倒な形式にしているのだろう、と最初は訝しく思いましたが、この形をとったのにも意味があって、それがわかるとなるほどと感心させられました。

あとがきによれば、作者は続編を書く気がないようですが、物語の世界はかなり細かく設定されていて、魔法のシステムや魔物と人間の関わり方などこのまま放り出してしまうのはもったいない気がします。この物語の主人公たちの冒険は終わったとしても、また別の主人公の物語が何本か書けるのではないでしょうか。ぜひ読みたいと思います。https://www.amazon.co.jp/dp/B07KYLD679

自作の宣伝です。今回は共通項が多いです。竜でしょ、魔術師でしょ、騎士でしょ、お姫様でしょ。でも、うちのキャラクターは皆んな、ちょっと嫌な奴だな。嫌な奴でもよければ、ついでにお読みください。全部 Kindle Unlimited で読めます。

 

セルパブ小説を読んでみよう 27 小川修身『101点の犯罪:名探偵 風泉俊馬シリーズ』

セルパブ小説を読んでみよう 29 藤あさや『宝石の翼 セリエルの空』

セルパブ小説を読んでみよう 27 小川修身『101点の犯罪:名探偵 風泉俊馬シリーズ』

先日、ZOOM飲み会なるものを初めてやってみました。帰りの心配しなくていいのは楽ですが、その分酒量が増えてしまうのが難ですね。

で、画面に映った友人たちを見ながら思ったのが、これってアリバイものに使えそうだよなってこと。きっともう書いている人もいるにちがいありません。

何で「アリバイがー」なんて考えたのかというと、昼間にこの小川修身『101点の犯罪:名探偵 風泉俊馬シリーズ』を読んでいたから。

霧島温泉で起きた転落死。警察は殺人の疑いを持ちながらも決定的な証拠がなく事故と判断します。死亡したのは大阪のコンピュータ会社「WEC」に勤務していたSE。その母親は警察の判断に納得せず、京都の探偵事務所に捜査を依頼してきます。

この事件を担当することになったのが、よれよれのコート、ぼさぼさの髪、失笑を誘う冴えない風采の風泉俊馬です。彼は被害者が大手のコンピュータ会社に引き抜かれようとしていたことを知り、「WEC」の社長山根に容疑を抱きます。しかし、山根には鉄壁のアリバイがありました。

よれよれぼさぼさというと、コロンボ警部を思い出します。この小説の風泉探偵もコロンボ型の名探偵です。もっとも、コロンボには犯人を油断させるためわざとピエロを演じているふうがありますが、この風泉探偵の場合は天性のよれよれぼさぼさ体質のようです。コロンボや古畑任三郎のように、犯人の身辺を嗅ぎまわり、犯人が披瀝する推理の齟齬をいちいち上げ連ね、犯人に疎まれながら追い詰めていく、というパターンは踏襲しているものの、しばしば捜査に行き詰まったり、推理の隘路にはまったりと、天才型ではない探偵の弱みも見せてくれます。そこがこの探偵の魅力ではないでしょうか。

また、コロンボや古畑は最初に犯行過程が明らかにされている倒叙ものでしたが、この作品はそこはちがっています。普通のミステリ同様、犯行過程は明示されません。犯人はわかっている。ただアリバイがある。アリバイ崩しをコロンボの手法でやっているのです。

読者は探偵と一緒に謎に挑むことになりますが、犯人側と探偵側の二視点で描かれていくので、話が単調にならず飽きることがありません。

101点の犯罪とは完璧すぎた犯罪。犯人が打った蛇足の一手から、風泉探偵が完全犯罪をどうやって崩すのか。お読みください。https://www.amazon.co.jp/dp/B082SBN141

自作の宣伝です。捕虜収容所が舞台のミステリです。ついでにお読みください。全部 Kindle Unlimited で読めます。

セルパブ小説を読んでみよう 26 月ノ羽衣『IN BLOSSOM』

セルパブ小説を読んでみよう 28 蒼機七『泣き虫魔女と盟約の黒き竜』

セルパブ小説を読んでみよう 26 月ノ羽衣『IN BLOSSOM』

濃厚接触回避はおろか、STAY HOME SAVE LIFE が求められる今日この頃、世間の恋する高校生たちはどうしているのでしょうか。

春休み直前から学校は休みになってますから、もう夏休みよりも長く学校を離れているわけです。片想いの子は日々悶々としているのではないでしょうか。

つきあいだしたばかりの子たちは毎日LINEとかZOOMでぺちゃくちゃやってんだろうけど、会いたい気持ちってのはどうなってんですかね? なんだかんだ言ってデートとかしてるのか。

ザマア見ろ、リア充め、とかぶつぶつ言っている子もいるだろうな。

何でこんなことを考えているのかというと、今回読んだのが恋する女子高生のお話だからなんですね。月ノ羽衣『IN BLOSSOM』。

主人公は二次元の推しに入れ揚げている女子高生です。学校には仲の良い三人の友だちがいて、彼女たちはスクールカーストの中ぐらい辺りに位置している感じです。友だちのひとりは「リア充」でつきあっている彼氏がいます。この「つきあっている」は性的な関係を持っているということと同じ意味です。残りの「処女」組は主人公のような二次元推しではないものの、いまだリアルな恋愛関係とは無関係です。

主人公はそんな仲間と同じ奥手なフリをしていますが、実際には中学生の頃に男の子とつきあったことがあり、そのときにセックスも経験しています。しかし、その経験は彼女にとって苦痛でしかなく、性的な接触や行為に嫌悪感を覚える自分に気づかされます。その結果、恋愛と性の間に乖離がある彼女は、どこにでもいるやりたいだけの中学男子から病気だと言われてふられたのでした。

そんな彼女が二次元へ走ったのは、ある意味必然でした。触れ合うことのない相手「『クリスタルメイズ』のしづ様」は彼女にとって理想的な恋人だったのです。二次元と三次元という絶対的な断絶があるからこそ、愛に応えてもらう期待などする必要もなく、一方的に愛するだけの安心がそこにはありました。

しかし、三年になって新しいクラスになった彼女の前に突然、早瀬さんという同級生の少女が現れます。しづ様を女にしたようだと思った主人公は、その日から彼女のことが気にかかるようになってしまいます。早瀬さんは主人公よりも上位のカーストに属していて、「いつも柔らかく咲って」います。主人公は同じ教室にいる早瀬さんを意識せずにはいられなくなって、やがてその感情が恋だと気づきます。

女の子相手の恋、しかし、女の子が相手でもやはり性的なことは気持ちが悪いと思うのです。つまり、主人公は男女のどちらとも恋をするけれども、どちらの性が相手でも性的な接触は嫌悪する人なのです。主人公は自分自身の取り扱いに困惑します。性的なことを嫌悪する自分は特殊なのではないかと悩むのです。しかし、ネットで性的な接触を嫌悪する人が他にもいることを知ります。その人たちは自分たちを「ノンセクシャル」と呼んでいました。主人公は自分も「ノンセク」なのだと理解します。

でも、自分を理解できたからといって、早瀬さんの問題が解決するわけではありません。むしろ、問題は難しくなったと言えるのです。まず、同性であるという点、次に性的な関係はNGである点、そして、恋愛関係は友達関係ではないという点(主人公は親友たちと同じようなかたちで早瀬さんと仲良くしたいのではありません)、これらの点をクリアしない限り、彼女の恋は成就しないのです。

二次元の恋がセーフティーネットとして役に立っていたのは、それが求めない恋だったからだということを、主人公は身に沁みます。初めから応えがないとわかっているから自由に好きになれたのです。しかし、三次元の、同じクラスにいる、生身の早瀬さんが相手ではそうはいきません。可能性がゼロでない限り、恋は応えを求めるのです。主人公の恋が実るには相手も自分と同質の人間である必要があります。しかも、それはスタート地点でしかありません。さらにその上に「好かれる」といういちばん大切な問題があるのです。主人公は自分が絶望的な努力を強いられていることに打ちのめされそうになります。それでも、彼女の心は早瀬さんを求めてしまうのです。

これは自分を知ったひとりの少女が、彼女にしかできない恋を通して、この世界とどう向き合っていくかスタイルを見出す物語。LGBTであるとかノンセクであるとかいう場合に限らず、人は自分が誰かを知ったときに世界に対してどう立つのか、これは文学の万古不易のテーマでしょう。皆さま等しく、読むよろし。https://www.amazon.co.jp/dp/B086SH9RLQ

自作の宣伝です。セクマイの人もちょろっと出てきます。ついでにお読みください。全部 Kindle Unlimited で読めます。

 

セルパブ小説を読んでみよう 25 森 鶉『月の犬』

セルパブ小説を読んでみよう 27 小川修身『101点の犯罪:名探偵 風泉俊馬シリーズ』

セルパブ小説を読んでみよう 25 森 鶉『月の犬』

家にいるとゲームばかりしてしまいますね。これまでの人生で読書量がいちばん多かったのは、通勤時間が長かった時期でした。なんだかんだ言って、テレワークになると電子書籍はよけいに読まれにくいかも。悲しいなあ。

今回もジャケ買いです。大人っぽい表紙でしょ?

1969年の夏、日本のとある村で殺人死体が発見されます。このことに端を発した波紋が村人たちに広がってゆき、そして消えてゆくさまが、静謐にまたじっとりと湿度高く、ラテンアメリカの小説のようなマジックリアリズムで描かれていきます。

八歳になるサカエは神主をしている祖父母に育てられています。夏休みなのでずっと家にいますが、いかにも田舎な時間感覚で生きている祖父母との生活は、あたかもこの夏休みが昔からずっと続いているかのようです。

サカエの母親はカニクイザルの研究でボルネオへ行ったきり。定期的にお金を送ってきます。父親も働かなきゃと村を出て行って戻ってきません。

彼らが出て行った村の外では、非日常的かつ一回性の出来事が連続し、たとえば、人類が初めて月に降り立ったり、安田講堂に立てこもった学生に機動隊が放水したりと何かと慌ただしい感じです。一年後の大阪万博に向けての準備も急ピッチで進められています。

しかし、村の中では円環的に日常が繰り返され、そこに暮らす人々はまるでゲームのNPCのように同一の行動を反復しているのです。来る日も来る日も、「ホルモンやえちゃん」の八重は昼間は路地で玉ねぎの皮を剥き、鉄工所で働く山本は昼休みになると炎天下に出てきてぼおっとし、小津バアは卵を新聞紙でくるくると器用に巻くのです。

ここに多少ハレなことがあるとしても酒屋の娘万里江と毛糸工場の後継ぎ息子の縁談くらいのもので、それもどこかですでにあったような話でしかないのです。

彼らは日常を反復することにあまりにも無自覚に執着しているので、そこから逸脱した感情や意識が存在することにさえ驚きます。鉄工所の息子などは、酒屋の娘の縁談が決まってようやく自分が彼女に恋していることに気づくのです。

この直線的時間からは取り残された共同体で、サカエは八重から、塀の上を犬が歩く、と聞かされます。そして、濃すぎる茶粥で眠れない夜、屋根の上を歩く犬と会話します。犬は月から来たと告げ、明日は歩いて月へ帰ると言います。そして、夜が明けると祖父の神社では全裸の女性死体が発見されて大騒ぎになっています。

死体の女性は村の人間ではなく、殺されて運ばれてきたらしいとわかります。この絶対的他者の登場は共同体の内部に刑事という外部を引き入れ、内と外の交通を可能にしてしまいます。村人たちは不可逆的な変化の兆候を感じつつ、それぞれに自身の立ち位置を確かめていくことになります。

死体から生じた波が治まったとき、村は再び反復する日常を取り戻しますが、あたかも変化など存在しなかったかのごとくに振る舞うのです。

村の外、世界のいちばん遠い場所に月があります。そして、村の中、共同体のいちばん深い場所に夢があります。夢は村人たちの意識に通底し、死者たちとも繋がっていくのです。https://www.amazon.co.jp/dp/B07GKC7XJ9

自作の宣伝です。夢の魔法が出てきます。ついでにお読みください。全部 Kindle Unlimited で読めます。

 

セルパブ小説を読んでみよう 24 如月恭介『明日に乾杯! 路傍に咲く一輪の野花』

セルパブ小説を読んでみよう 26 月ノ羽衣『IN BLOSSOM』

セルパブ小説を読んでみよう 24 如月恭介『明日に乾杯! 路傍に咲く一輪の野花』

なんという偶然でしょうか。

前回『行く先はきくな』で菊名を目指してひと晩中うろつきまわった挙句ようやく駅に到着したと思ったら――

今回の作品、如月恭介『明日に乾杯! 路傍に咲く一輪の野花』は、三十六歳男性、独身、ベンチャー企業の経理部長の田中さんが、菊名駅を午前七時十九分発の町田行き横浜線に乗るところから始まります。

なんだか徹夜で仕事に行くような変な感じ。こんな偶然てどのくらいの確率なんでしょうか。

この田中部長、いかにも財務系っぽい堅い人です。さらにミニマリストっぽいところもあって、高収入にもかかわらずお昼は自分で作ったお弁当。同僚と一緒に昼食に行くとか、そういう人間関係は面倒だと思うタイプ。

それならひとりで食べに行けばいいじゃん、という声もあるでしょうが、彼は贅沢や楽も好まないストイックな性分です。悪く言えば「陰キャのケチ」ですね。

でも、そういう彼に好意を寄せる女性もいて、野沢優子さんとおっしゃるのですが、この方も休みの日は家でオンデマンドのストリーミングで映画鑑賞をなさっているというなかなかの陰の者。

このふたりが会社の慰労会パーティーで「EQの高い人(他人の感情をコントロールする能力の高い人=社会的に頭のいい人間)」に対する反感を共有していると、容姿端麗の立花麗華二十六歳が突然現れて優子の前から田中部長を引っさらって行ってしまいます。

優子の失恋ですめば話はそれまでなのですが、半年ばかり後、田中部長が業務上横領罪で東京地検に逮捕されてしまうのです。

総額五千万円の使い込み。読者だって、きっと美人に貢いじゃったんだよなあ、と思うのに、ただひとり優子だけは田中部長の無実を信じます。で、大学時代の先輩大月小夜子に便利屋を紹介してもらいます。

この便利屋が主人公の矢吹です。凡庸な顔立ちのアラフォー男性。いろいろミスをしてはそのたびに「またやっちまったよ……まったく俺っていう男は――」と頭を抱え込む自虐癖のある人です。

横浜伊勢佐木町に事務所を構え、若い女性を秘書のように雇っているので、ベイシティで開業していたマーロウや、「百万ドルの脚線美」を秘書にしていたマイク・ハマーらから綿々と続く探偵の伝統をしっかり守っています。見た目と同様に派手なところはありませんが、地道な調査と周囲の人々(神奈川県警の犬飼刑事や元同僚の小夜子)の力を借りて、事件の真相へ迫っていきます。

これといって取り柄があるわけではないのに不思議と女性にはモテます。自己肯定感が低いというのは案外モテ要素なのかもしれません。自分への評価が低いと、相対的に他人に対する評価が高くなる。その結果、いつも自分のことより他人を優先してしまう。でも、それは傍にいる人の目から見れば「優しさ」以外の何ものでもないわけです。なるほどなあ。そんな主人公を助けてあげたくなるのも当然ということですね。

読後、自身の評価が上がるか下がるかわかりませんが、とにかくこの世界は肯定してみようかなという気にさせてくれる一冊です。IQでもEQでもないQで事件を解決する探偵のお話をお楽しみください。https://www.amazon.co.jp/dp/B07MBQLKSN

自作の宣伝です。嫌な奴ばかり出てきます。ついでにお読みください。全部 Kindle Unlimited で読めます。

 

セルパブ小説を読んでみよう 23 くみた柑『行き先はきくな』

セルパブ小説を読んでみよう 25 森 鶉『月の犬』

セルパブ小説を読んでみよう 23 くみた柑『行き先はきくな』

これを書いている今、七都府県に緊急事態が宣言されています。「復活の日」は昔、映画館でひとりで見たけれど、何がライフ・イズ・ビューティフルだよ、くらいにしか思わなかった。カミュの「ペスト」も若い頃に読んみましたが、ほとんど記憶に残っていません。いやはや、こんな日が現実に来ようとは想像もしませんでした。

とりあえず外へ出なければならない用のない人は家にこもってください。こういう時こそ、電子書籍の出番です。お家でポチっと御本が買えますからね(この機会にインディーズ作家の方へも目を向けてくれる人が増えたらいいのですが)。

今回の作品は、くみた柑『行き先はきくな』です。商業出版された小説と遜色ない作品。リーダビリティの高い文章で、肩の凝らないストーリーが軽快に進みます。

主人公エリは三十路が迫る兵庫女子。普段は婦人科の受付をしています。今日は友人の結婚式で東京に来ていますが、本人にはそういう色っぽい話は一切ない状況。出会いがないとぼやくも、理由はそれだけではないのかもしれません。

二次会でも出会いはないまま、大倉山の友だちの家へ泊めてもらうために東横線の終電に乗ります。大倉山に着いたのは午前一時過ぎってところですかね。友だちに電話をすると駅がちがうと怒られます。マンション名には大倉山と入っていても最寄り駅は一つ先の菊名だと。

一方、彼女の知らないところで、運に恵まれない兄と知恵に恵まれない弟と親に恵まれない少女の狂言誘拐計画が進行しています。弟が運転するタクシーを使って身代金を受け取ろうと企むも、何の因果か乗り込んでくるのは目的の相手ではなく出会いのない兵庫女子です。そうとは知らぬ誘拐犯は決められたセリフを言い放ちます。

「行き先はきくな」

はたしてエリは無事に友だち宅へたどり着けるのか。そして、素敵な出会いは訪れるのか。眠れない・眠らない地元住民や地元神様を巻き込み、竹内まりやをBGMに繰り広げられる、一夜のドタバタロードノベル。

まずはお茶でも淹れてくつろいでお読みください。しばしCOVID-19のことは忘れて、夜の東横線沿線をウロウロしてみましょう。EDテーマは「毎日がスペシャル」かな。https://www.amazon.co.jp/dp/B07GC67113

 

自作の宣伝です。ロードノベルじゃないし、舞台も知らない場所だし、出てくるのも悪い人だらけだし、まるで共通点はないですが――あ、そうだ、すっごく昔、僕は菊名の「〇本〇率進学〇究会」ってとこに通ってました。無茶苦茶薄いつながりですが、ついでにお読みください。全部 Kindle Unlimited で読めます。

 

セルパブ小説を読んでみよう 22 鵜飼真守『星見の辰之進』

セルパブ小説を読んでみよう 24 如月恭介『明日に乾杯! 路傍に咲く一輪の野花』

 

 

セルパブ小説を読んでみよう 22 鵜飼真守『星見の辰之進』

今回は鵜飼真守『星見の辰之進』です。なぜこの小説かというのは、表紙に書かれている惹句をご覧いただければわかってもらえると思います。「江戸封鎖の真相」ですよ。江戸封鎖、江戸ロックダウンですよ。東京のロックダウンもありうると言われている今日、江戸が封鎖されるとなればこれは読まずにはいられませんよね。

さては疫病が流行ったかと思って『武江年表』を見てみましたが、明暦三年というのは明暦の大火の年なんですね。疫病が流行ったともかかれていません。火事じゃ封鎖したりはしないよなあ、と思いながら読み始めました。

タイトルが『星見の辰之進』ですから開巻早々登場する井深辰之進が主人公でしょう。舞台は1656年明暦二年十一月の江戸ではなく會津、お目見得以下の藩士辰之進は天文台で星を見ています。星見の辰之進、看板に偽りなしです。今夜はもう帰ろうとするそのときに星が動きます。

星は鶴ヶ城の上でぴたりととまり、繭のような形をしています。形がわかるとなればこれはもう星ではありませんよね。何だろう、気球か何かだろうか、と読み進めていくと、主人公は星が江戸へ飛び去ったことを知り、藩主の命を受けて江戸へ向かいます。

しかし、江戸は封鎖されていて、中に入れません。江戸を目前にして足止めをくらった辰之進ですが、そこでお初という娘と知り合います。さて、この知合い方については、時代小説では定番中のド定番なので考えてみてください。答えは実際に小説を読んで確認のほど。たぶん想像した通りだと思います。

このお初の父親佐平治は赤鴉という盗賊団の首領をしています。この男と一緒に江戸封鎖の謎を探っていくのですが、その答え知るには江戸城に忍び込まなければならないとわかります。そこに風魔の忍者や御庭番の伊賀忍者も絡み、クライマックスの明暦の大火へと至るのですが、このとき江戸城の上空には繭形の星が浮かんでいるのです。いったいこの星は何なのか。大方の読者の予想を裏切る展開が待っているので、ぜひご自身の目でお確かめください。https://www.amazon.co.jp/dp/B07YBJGR9W

 

自作の宣伝です。大火事がクライマックスという点では似ていると思うのですが……。あっ、あと、忍びも出てきます。ぜひお読みください。全部 Kindle Unlimited で読めます。

 

セルパブ小説を読んでみよう 21 水谷悠歩『フルカミの里』

セルパブ小説を読んでみよう 23 くみた柑『行き先はきくな』

セルパブ小説を読んでみよう 21 水谷悠歩『フルカミの里』

まさかパンデミックなんて考えてもみなかったですよ。前の新型インフルエンザのときだって大山鳴動して鼠一匹って感じだったし、エボラ出血熱については手洗いできる国なら流行らないようだし。戦前の「眠り病」嗜眠性脳炎の流行のときはどうやらウィルスのせいだってことがわかったあたりでなぜか流行が沈静化してしまったらしいので、今回のCOVID-19もいい加減沈静化してくれないものでしょうか。

というわけで、ウィルスには過敏になっている今日この頃、とある水死体から狂犬病類似ウィルスが発見され――という作品には自然と手が伸びますよね。水谷悠歩『フルカミの里』を読んでみました。

冒頭、暗闇に監禁されている人がいます。個人的に、これはいけません。光も音も遮断された環境を想像しただけで心が壊れてしまいそうになります。昔、テレビで萬屋錦之介の宮本武蔵をやっていて、あれは映画だったのか、ドラマだったのかわかりませんけど、武蔵が真っ暗闇に閉じ込められているんですね。すると、不動明王?とかの幻覚が見えてくるんですよ。うわあ、たまんねえなあ、って思ってチャンネルを変えた記憶があります。時間の感覚が曖昧になって、覚醒しているのか夢を見ているのか判断がつかない状況は恐ろしくないですか。

話は一転して、フリーランスのライター春日が友人鳥山の葬式からの帰りに公園で足を休めているとスーツ姿の若い女性が近づいてきて、烏山について話を聞かせてくれと言ってきます。彼女は衛生省の萱野と名乗りますが、友人を失って心のすさんでいる春日は、話が聞きたければ公園の池に飛び込めと無体な条件を出します。すると、萱野は言われたままに池に飛び込み、自身の真剣さを証すのです。

おや、まあ、と思って読んでいると、ずぶ濡れの萱野女史はそのまま春日の部屋へ行き(おやまあ)、シャワーを浴び(おやまあ!)、春日が買ってきた着替えを着て(おやまあ?)、死んだ鳥山の話をします。溺死した鳥山ですが、生前に新型狂犬病にかかっていたというのです。そして、狂犬病に罹患した場所を特定するには鳥島が研究していた巻物がカギになることを告げます。しかし、その古文書の巻物は発見されていません。

春日と萱野は失われた巻物『諏訪国風土記』と狂犬病を巡る謎を追ってある村にたどり着きますが、狂犬病の新たな被害者を生んでしまいます。噛まれてわずか一日で死に至る病。しかも特効薬がありません。何としても感染の拡大は防がなくてはなりません。ここから物語はハイスピードで展開し、一気に結末へ向かいます。

この小説の魅力はいくつも重層的に配置された謎でしょう。そのなかでも物語の中心となる謎、なぜそこに日本では駆除されたはずの狂犬病が存在したのかということの答えには感心しました。まるで予想もしなかったし、なるほどなあと納得させられました。

さらに、春日と萱野の関係については、その後も「おやまあ」なことが繰り返されるとだけ申し上げておきましょう。https://www.amazon.co.jp/dp/B07RPNQBZK

自作の宣伝です。狂犬ではありませんが、三つ頭のでかい犬が出てくる話を収録しております。危険な犬が好き、という方はぜひお読みください。全部 Kindle Unlimited で読めます。

 

セルパブ小説を読んでみよう 20 タダノ ケイ『ゲームトピア』

セルパブ小説を読んでみよう 22 鵜飼真守『星見の辰之進』

セルパブ小説を読んでみよう 20 タダノ ケイ『ゲームトピア』

正直、ジャケ買いです。とても単純だけど、力強い表紙。タダノ ケイ『ゲームトピア』。ⅠとⅡに分かれています。合計で約350ページ。短めの長編ですね。

たしかに美少女から、この世界は本当じゃないの、なんて言われるのはいかにも主人公っぽいわけです。

世界の秘密に触れられるのは主人公の特権だけれども、物語の始まりでは秘密の一部だけしか与えられず、秘密のすべてを知るために主人公は苦難を乗り越えていかなければならない、というのも物語の定番パターンではあります。秘密を知る美少女は主人公の先達者となって、やがてはパートナーとなるというのもお決まりのコースでしょう。

じゃあ、こんなSAO風の仕立てがこの小説のあらすじなのかといえば、そうではありません。この小説は視点人物を複数設定していて、これはあくまでラノベ世界の住人っぽい厨二少年の視点に立ったときの話です。

美少女の視点、中年オヤジの視点、地味少女の視点、それぞれの明確に異なる人格を通してポリフォニックに描かれる小説世界はそんなに単純なものではありません。

言い換えれば、少年に提示された秘密など、すべてを俯瞰する読者の前にある謎に比べれば、むしろ馬鹿々々しいほどに単純なのです。読者としては、これが小説である以上、ゲーム世界が本当で現実世界が虚構である可能性も捨てられないし、「天の声」とは何者か、預言が成就するとはどういうことなのかということも気になります。

謎に引っぱられて前半は読まされることになりますが、あらかたの謎が明らかになった後半は前半のファンタジー風な話から一転、アクション小説になります。いずれにせよ、作者の確かな技術によって紡ぎ出されたリーダビリティの高い小説です。一旦読み始めれば、砂漠の果て、約束の城で少年と美少女が再会するまで、一気に読まされることになるでしょう。https://www.amazon.co.jp/gp/product/B07ZG4TWPQ

自作の宣伝です。剣と魔法の物語です。現実世界は出てきませんが、ハイ・ファンタジーかと言われると、書いた本人も首をひねります。ソード・パンクだと思ってます。ついでにお読みください。全部 Kindle Unlimited で読めます。

 

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