「呪い」を共有するための欠陥品――『アーサー・ゴードン・ピムの物語』

エドガー・アラン・ポー、唯一の長編小説。 1838年発表。今から約200年前、文学界がリアリズムに目覚め、一方でロマン主義が「熟れ切って腐る寸前の果実」のようになっていた狂乱の時代の産物だ。

ディケンズが『オリバー・ツイスト』を連載し、ポー自身も翌年には大傑作『アッシャー家の崩壊』を世に放つ。そんなとんでもない時期に産み落とされた本作は、果たして傑作なのか? 答えは、イエスであり、ノーだ。

正直に言えば、これは「失敗作」である。 短編だけでは食えないポーが、金のために「売れる長編」を狙って書いた、いわばやっつけ仕事。構成力も技術も伴わないまま、監禁、遭難、漂流、カニバリズム……自らの性癖を無計画に繋ぎ合わせた結果、物語は迷走する。 最後は放り出すようなクリフハンガーで幕を閉じ、書いた本人にすら「非常にバカげた本」と吐き捨てられる始末だ。

さらに、信憑性を強めようとする過剰な引例が、読む者を辟易させる。 安全な社会で正気を保つ読者なら、間違いなく途中で本を投げ出すだろう。

だが、この世界には、どうしようもなく「歪なもの」に惹かれる人種がいる。 美とは理解不能な外部から立ち上がるものだと知っている者たちだ。

たとえば、ボードレール、ラヴクラフト、富ノ澤麟太郎。 カタルシスなど微塵もない、ただ戦慄と痙攣だけが支配するこの迷宮に、彼らは魂を震わせた。呪われた者同士が響き合い、同じ呪いに染まっていく。この小説には、そんな倒錯した磁場がある。

今回、僕が読んだのは創元推理文庫・大西尹明訳。 特筆すべきは、物語の幕引きだ。主人公の死の原因である「Accident」という単語。これを大西は、あえて「自殺」と訳出した。

他の訳では「不慮の事故」や「横死」とされるところを、あえて踏み込んだ。 だが、古の神々の信者なら、こう思うのではないか。 「自殺」なんて人間的な了解が可能な死ではなく、もっと理解不能で、おぞましい死にちがいない、と。

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