私は、自他ともに認める無類の磯辺揚げ好きだが、先週、半世紀にも及ぶこの人生において最も不味い磯辺揚げを口にした。
磯辺揚げの主材料は、チクワ、小麦粉、青のり、油。
これにバリエーションで何か加わるとしてもだ、磯辺揚げの味の振り幅なんてそう大きくはない。
予想を超える美味さもないかわりに不味さもない。のり弁の謎の白身フライの横に、なにげなく当たり前のように存在する。きわめて存在感の薄い食い物。
言い換えれば、磯辺揚げなんてものは不味く作ろうにも限度がある、ということだ。
その限界を易々と越える料理人については、これはこれでひとつの才能かな、と感心すると同時に、私に何か恨みでもあるのか、とふつふつと怒りが沸いてきたのだった。
まず、チクワが輪のままである。縦に切断されていない。まあ、これは流儀みたいなものだから、縦に切らなくたっていいのだが、それでも許されるのは細いチクワの場合だけで、おでんに入れるようなチクワでは駄目だ。これにコロモがつくんだぜ。磯辺揚げに大口開けてかぶりつくなんて聞いたことない。
そして、コロモだが、どうしてチクワの半分までしかついていないのか。おしゃれのつもりなのか、手抜きなのか、そこが今ひとつ判然としないところである。コロモのついていないところは、ただのチクワの素揚げでしかない。チクワの素揚げはチクワを揚げた味がするだけである。
コロモのついている方も、このコロモに問題があって、磯辺揚げの磯辺揚げたる根拠であるところの青のりが異常に少ない。水溶き小麦粉の中へ間違って青のりが落ちてしまったのかというぐらいに少ない。これでは磯辺揚げではなくチクワの天ぷらである。
だが、これらの諸問題を差し置いて何より問題なのは、コロモが固いということである。齧るという表現がぴったりするくらいに固い。元々固かったのが冷えて余計に固くなっている。もはや磯辺揚げのコロモではなく、磯辺揚げの殻である。いつからチクワは甲殻類になったのかという体である。
全国にはまだまだこうした恵まれない磯辺揚げが存在するのだろう。とはいえ、磯辺揚げ救済の声を上げるつもりはない。
しょせん磯辺揚げだからね。