KDPをやってみよう(1)

KDP――キンドルダイレクトパブリッシングだっけ?――をやってみよう、という話。その第1回め。
「序説」っちゅうの? 「まえがき」みたいなもんだな。

一昨年の暮れ、Amazonさんが「お安くするからどうですか」って言うので、Kindle Paperwhiteというのを購入してみた。

ページをめくらないと「本を読んだ」感がないんじゃないかと思っていたのだが、そんなことは全然なくて、むしろ紙の本の重さがないぶん通勤中の読書には楽。

へえ、こりゃいいや、と使っている。

「青空文庫」が読めるのも嬉しい。
『黒死館殺人事件』も『ドグラ・マグラ』も『魔都』も、あの薄っぺらな機械に入る。
永井荷風の日記も、古川ロッパの日記も読める。
半七も平次もタダで読めるんだからな。

夏にはKindle Unlimitedも始めた。
これは月に千円弱の料金で対象の本が読み放題になるというサービス。
『Newsweek』と『月刊ムー』が980円で読めるなら安いじゃん、と意識高い系オカルトマニアとしては大喜びで始めた。
ところが、契約したらすぐに『ムー』が読み放題からはずれてしまい、ちょっと悲しい次第となっている。

まあ、『週刊大衆』も読めるからコスパはいい。
意識が高いんだか低いんだかわからないけど、コスパはいい。
『論理哲学論考』からフランス書院まで読めるからコスパはいい。

それで、なんだかんだと本を漁っていたらぶつかるわけだ、KDPの本たちに。
これ、インディーズって言うと、カッコイイですかね。
玉石混淆なのは否めない。
でも、多くの石に混ざって玉はたしかに存在する。面白いものは面白い。
また、玉なのか石なのかよくわからないのもある。
万人が面白いとは言わないかもしれないけれど、自分のツボにははまっているなんて本があるわけ。

アメコミ誕生以前のパルプマガジン時代のマスクド・アンド・コスチュームド・ヒーローたち(ザ・シャドウとその追随者)の小説アンソロジーなんて誰が読むんだ?

国会図書館所蔵の1930年発行『東京名物食べある記』時事新報家庭部編なんて誰が喜ぶんだ?

もう本当に自分以外のどこに需要があるのかわからない本が、Amazonさんとこには存在するのですよ。

こういうのって、タイムリーに大量に売るというベストセラー商法の真逆だよね。

小さな酒蔵が独自のポリシーで個性的な酒を造る。美味しいと思ってくれる人だけ飲んでくれればいい、みたいのと一緒。

自費出版というと高いお金払って自分の小説なりエッセイなりを本の形にして、大きな本屋さんの誰も見向きもしない隅っこのコーナーに並べてもらったり、地元の図書館に寄贈してみたり、親戚や知り合いに配ったり――どうしても自己満足というイメージが拭えない。
出しはしたけど、どこにも伝わらないっていうね。

KDPはそれとはまた別のやり方なのだと思う。
この作家たちは、きっとどこかに面白がってくれる人がいるだろう、という期待のもとに出している。
伝わる可能性をとりあえず信じている。
そんなに費用もかからないようだしね。

というわけで、僕もインディーズ作家ってのをやってみよう、と思い立ったわけですよ。

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