セルパブ小説を読んでみよう 4 ヤマダ マコト『山彦 (新潟文楽工房)』

セルパブ小説4冊目。上・中・下の三巻を一冊にまとめたパッケージ本もkindle unlimitedで読めるので、そちらを選びました。内容に違いはないはず……たぶん。

洋食器で有名(小学校の社会でやりました)な燕三条が舞台。二十一世紀の現代に生きる山の民をめぐるファンタジー。とはいえ出だしはまるでファンタジーらしくなく、むしろ社会派推理小説のようです。地方新聞の記者をしている主人公の須見は連続殺人事件の取材の過程で、山彦やヤツカハギと呼ばれる山の民の存在を知ります。社会から逸脱した暮らしに惹かれて彼らに接触した彼はそこでフミという盲目の少女に出会います。死者の霊を見、声を聴き、風を操ることのできるフミは、山彦たちからエダカと呼ばれ、彼らの精神的な要石のような存在でした。

一方、市会議員の高橋は地元企業の不正を追及しようとして山彦の存在を知ります。彼は自身の出世のために山彦を利用しようと考えます。しかし、それを喜ばない者もいて――

多視点で進んでいくストーリーには、それこそミステリで使われる構成上の技巧が隠されていて、それは中盤で明らかになりますが、本作を単なるファンタジーの枠に収まらないエンターテインメント作品にしています。

山の民たちが食事を作る場景の描写や、食べてみたい物は何かと聞かれたフミが「牛肉」と答える理由などは、あたかも実在のヤツカハギに取材したようなリアリティがあります。彼らと一緒に山で暮らしてみたいと思わせるほどに生き生きとヤツカハギの生活が描かれています。

サンカというか山人は、近代日本においては非日本的なるものの象徴として、半ば厭われ半ば憧れられてきた存在でしょう。定住農耕民は大宝律令以来ずっと管理されてきたのです。管理されるとは数えられることに他なりません。柳田の言う常民は年齢を数えられ、人数を数えられ、生産高を数えられ、常に支配する者に数えられてきました。管理を苦痛に思うなら、数えられないように支配者の視界から逃れなければいけません。たとえば徴兵され兵士として数えられるのが嫌でも、この世間には逃げ場などないのです。数えられたくなければ世間というシステムの外に出る、それしか選択肢はなく、つまるところサンカになるとはそういうことだったのかもしれません。

しかし、世間の外に出るとは、この世間にいない人になるということですが、この世にいない人は即ち死者です。この小説でヤツカハギたちが死と寄り添うように生きているのは、その意味で必然と言えるでしょう。ただ、計数化からの自由という消極的な自由は、決して何物にも縛られないということではありません。ヤツカハギはヤツカハギでまた、自分たちを縛りつけているものを感じざるを得ないのです。

IT化した社会は、中国の例を見るまでもなく、今後ますます人を計数化するようになるでしょう。その反動はサンカを近代史の闇から引きずり出してくるかもしれません。そのとき、この小説は新しいサンカ小説の嚆矢として認められることになるでしょう。

ボリュームのある一冊ですが、面白さはそれ以上です。ハイ・ファンタジーや異世界物はもう飽きたという人、ジョナサン・キャロルみたいなファンタジーが読みたいという人はぜひダウンロードを。

https://www.amazon.co.jp/dp/B0127URPDA

ついでに僕の本も読んでくれるとうれしい。

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