セルパブ小説を読んでみよう 13 月乃宮千晶『ゼロの男』

今回はよくTwitterで見かけていた作家の本を読みました。月乃宮千晶『ゼロの男』です。

作者は作者セントラルの自己紹介を見ると歯科医で、コンサルタントもなさっていらっしゃいます。すでに何冊もKindle本を出していて、今回はその中で一番長いものを選ばせていただきました。

ひとことで言うなら「不思議な」小説です。先が読めないというならこれほど読めない本もないでしょう。次に何が起こるのかまったく予想できません。

主人公のムネアキは15歳のときに生まれて初めて手にしたバイト代六千五百円を友人宅で盗まれます。こう書くとまるで友人が盗ったみたいですがそうではありません。友人宅に友人とその妹と三人でいるところへ泥棒が入るのです。泥棒は彼らの隣の部屋に潜んでいてそこに置いてあった主人公のカバンからバイト代だけを盗んで逃げます。この体験が主人公の克明な心理描写を中心に描かれています。友人の親が怖がらせたお駄賃だと一万円くれるので、主人公は被害どころか得をしたのですが、この経験は彼に強い印象を残してしまいます。

その後、彼は苦労して医師免許を取得し、勤務医になります。病院で知り合った女性と結婚しますが、30歳では自宅が空き巣に入られて三十二万円を失います。彼は15歳のときのことを思い出し、自分は15年ごとに金銭を失う運命ではないかと考えるようになります。しかも六千五百円は15年で約50倍の三十二万円になったので、45歳では更に50倍の千六百二十五万円も失うことになると怯えるのです。

読者からすれば、これは強迫観念以外の何物でもないだろうと思いますが、作者はこの段階では妄想かどうかを明らかにしない書き方をしているので、悪夢を見ているような、とても奇妙な感じになっています。実際45歳では何が起きるのか、それは小説を読んでのお楽しみとしましょう。

この作品の独特な点は、全編にわたって主人公の心理描写が描かれているのですが、そこに濃淡がないことです。主人公は自分の身に起こることや周囲のことすべてに同じ鋭敏さで激しく反応します。彼にとってはあらゆることが等しく重要であり、気持ちに影響を与えるのです。

そしてこのルオーの絵のような濃密さは心理描写だけにとどまらず、固有名の氾濫となって現れます。まるでトマス・ピンチョンがよくやるように、伊勢丹やキムタク、ビッグボーイや大俵ハンバーグなど、当たり前の小説ならデパート、有名俳優、ファミレス、看板メニューなどと曖昧に表記するところを、固有名を使い、あらゆる物にピントを合わせたような、くっきりとした輪郭を与えているのです。こんな主人公の目を借りて世界を見ることになる読者は、そこがいかに奇妙で恐ろしい場所であるか、理由のない不安を覚えることになるでしょう。

kindle unlimitedを利用している方ならぜひダウンロードしてほしい1冊です。きっと記憶に深く刻まれること間違いなしです。https://www.amazon.co.jp/dp/B07SRV2JD2

ジャンルはまるでちがいますが、僕のセルパブ本もぜひお読みください。全部 kindle unlimited で読めます。

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